maimaiomaiのブログ

アイルランドと日本の狭間で 言葉を解き、紡ぎなおす者として

「なんという惨事」

 

ちょうど今から50年前、サミュエル・ベケットノーベル文学賞を受賞した。

その時のベケット本人の反応は、「なんという惨事だ(What a disaster)」だったそうな。

 

こういう反応を見た時に、賞賛を喜ばない人もいるんだなぁと思う。

いや、意外にももっと多くの人が、実は心の底で賞など要らないと思っているのかもしれない。

ただただ世間の「当たり前」や「人の目」に流されてしまっているだけなのかもしれない。

 

私は、こういう「流されない」人がとても好きだ。

自己中とも違う、なんだか、誰とも比較できない圧倒的な「個性」の持ち主。

ゆえの孤独。

 

ベケットがずっと前にBBCのラジオドラマのために書いた戯曲「All That Fall(すべて倒れんとするもの)」

という戯曲がある。ベケットは早々とアイルランドを去り、パリに移住しているが、

この戯曲に関しては、自分の生まれ故郷、フォックスロック(ダブリンの郊外)が色んな場面で反映されているらしい。というのもあり、ベケットが幼少の頃よく通ったという教会で、

この戯曲を上演するのだという。

 

 

それに私の相方が出演するので、観に行ってきた。

 

とても良いキャスティングで、ジェラルディン・プランケットさんというベテラン女優さんが、主役のミセス・ルーニーを演じる。うちの相方さんは、ミスター・ルーニーを演じた。

 

客席には、なんと大統領のマイケル・ヒギンズ氏の姿も。

「紳士淑女のみなさま、大統領のマイケル・ヒギンズ氏です!」

と司会の方が言った時は、なぜか涙が出そうになってしまった。

教会の奥の扉から歩いて出てきたのは、私よりも背の低い、可愛らしいおじい様だった。

 

 

 

ヒギンズさんは、詩人でもある。詩人が大統領だなんて、なんて素敵なのだろう(他に実務の首相がいるものの)。

彼自身、とても芸術が大好きなのだそうで、よく観劇するのだそうだ。

 

これはラジオドラマだということで、ベケット著作権を管理している事務所から

「必ず音だけで」という指示があったのだとか。

というわけで、観客は全員目隠しをしなければならなかった。

目隠しをしたはじめは、なんだか真っ暗だし、舞台上を観たいという衝動に駆られて仕方なかったのだが、面白いことに、暗闇の中で俳優さんたちの言葉に耳を傾けていると、

自ずと、あらゆる光景が目の前に浮かんでくるのである。

それに音だけを聴いていると、俳優さんの技量が繊細に汲み取ることができる。

音の大小、感情の抑揚、こまやかなところまで耳がピックアップするので、

自分でもびっくりしてしまった。人間の五感というのはすごい。

 

 

アイルランドのラジオを聴いていると、ラジオドラマがよく流れてくる。

しかし、家でラジオドラマを聴いている時は、目を閉じるわけではないし、自ずと家の壁やテーブルを見ていたりするので、

完全に真っ暗の中でラジオドラマを聴くのは初めてだった。

 

足を引きずりながら、帰ってくる夫を駅まで迎えに行くミセス・ルーニー

なぜか予定よりも大分遅れて到着する電車。

そこから夫と一緒に、また足を引きずりながら家に帰る。

ただそれだけなのだが、とてもとても面白い。

 

 

「主はすべて倒れんとする者をささえ、すべてかがむ者を立たせられます」という旧約聖書からの引用がある。

題名も、ここから取っている。

ミセス・ルーニーとミスター・ルーニーが、

「主はすべて倒れんとする者をささえ、すべてかがむ者を立たせられます」

と言った後に、少しの間をおいて大爆笑するシーンがあるのだが、

こういうダークなユーモアに、私は個人的にぐっときてしまう。

 

ベケットの台詞は、ダークなユーモアを交えながらも、とても哲学的なので、

台詞を流してはならないし、かといって、自然に言わなければならないしで、俳優にとっては、とても大変だと思う。

 

ミセス・ルーニー 「なぜ、止まったの?」

ミスター・ルーニー「この方が楽だからね」

 

ところどころに、シニカルな笑いが散りばめられているのは、さすが。

改めて、ベケットの才能に、ため息をついた夜だった。

 

日本のテレビを見ていると、テロップの多さに最近ビックリする。

大変親切であるし、全く悪いことではないものの、

自分の「聞く」力が衰えているようにも思った。

 

 

そんな中、ただただ暗闇の中で、台詞を、言葉を、聴くという行為は、

私にとって真新しい体験。ある意味、メディテーションに似たような体験であった。

 

終演後、教会のホールで、立ち飲みというか、立食パーティーのようなものが開催されていた。

ヒギンズ大統領も役者たちも、なんの気兼ねもなく、普通に観客の方たちと立ち話をしている。

私はアイルランドの、こういうところがとても好きだ。

「スター」がいない。「ヒーロー」がいない。

私は、そういうのが好きである。

 

壁には、ベケットの写真がずらり。

今残されているベケットの「最後の写真」と言われている写真が目についた。

 

写真は、彼の実家の当時の家主が撮ったらしい。

パリまでベケットに会いに行ったという。

ベケットの生家ということで、住宅の税金が免除されるのだということをベケットに話すと、

 

「少しでも世に貢献できているようで、嬉しいよ」と笑ったのだとか。

 

 

相方のお芝居も素晴らしく、改めて尊敬しなおした。

 

個性とはなんだろうか。

ある意味、世間で言う「欠点」なのではないだろうか。人の「隙」なのではないだろうか。

今の世の中は、「隙」を埋めようとしすぎてはいないか。

そのようにして、どんどん個性を失ってはいないだろうか。

そんなことを、思った夜だった。