maimaiomaiのブログ

アイルランドと日本の狭間で 言葉を解き、紡ぎなおす者として

物語るひとたち

 

 

こちらアイルランドで、観劇をして感想を求められた時に、「嬉しくもガッカリしました(I was pleasantly disappointed)」という答え方があるのだとか。

例えば俳優や演出家の方は、同業者が関わっている作品が素晴らしかった時に複雑な気持ちになることも多々あるのではなかろうか。

心から喜べる、「できた」人間もいるだろうが、そうはいかないこともある。

所詮人間なのだから、作品が良くなかったときに、少しホッとするようなこともあるだろう。

そういった場合に、いっそユーモアを交えて、「嬉しくもガッカリした」と答えるというのも、一つの手なのかもしれない。

 

 

こちらには、そういうユーモアが日常に溢れていて、アメリカのユーモアとは違う、少し「ひねられた」感じがある。

 

突然、そういったユーモアを振られることが多いのだが、なかなか巧みに返せないのが悔しい。今はそのたびに爆笑するしか能がないのだけれど、そこは愛嬌で許していただきたい。

 

こういったユーモアが発達するのも、なんだか分からなくもない。

こちらの天気は非常に変わりやすく、雨がしょっちゅう降る。

しかも、2月から3月にかけては、その傾向がさらに加速するようで、先日は「なんていいお天気なのかしら」とルンルン気分で外へ出てカフェでコーヒーをすすっていると、突然窓の外で雪が斜めに激しく降り始めた。ミルクを買うためだけにスーパーへ入り、出てくるとさっきまで晴れていたのが急に土砂降りになっていたりも…。

日本にも春一番があるけれど、それがこちらではこの時期、1か月ほど続く。

吹き荒れる風に立ち向かいながら目を細めて体を斜めにして歩き、挙句の果てに、突然の雨で身体がずぶ濡れになる。

 

こんなだから、帰宅途中に少しパブなどに立ち寄って体を温め、ギネスを引っかけ、ジョークの一つや二つ交わしたくもなるのかもしれない。

 

 

 

キッチンでビチョビチョになったジャンパーを干していると、相方が「ほらね、アイルランドには、ジャンパー3種類とブーツ3種類必要なんだよ」と言った。

 

天気が、女優のような豊かな感情を見せつける中、街はセントパトリックデーで大変賑わっている。

セントパトリック・フェスティバルが数日間にわたり開催され、各会場で、あらゆる催しが開かれている。

たとえば、ダブリンを歩いて回りながら随所で「歌うたい」さんがバラードを唄ってくれる「バラード・ツアー」、ストーリーテラーによる「ものがたり(ストーリーテリング)」など、とてもアコースティックでアナログなのがいい。すべて10€程度。十分に楽しめる内容だ。

 

 

 

ストーリーテリングのイベントでは、ストーリーテラーの女性が、キリスト教が普及する以前の昔話を感情豊かに話してくれた。

こちらには、キリスト教が普及する以前の世界を描いた神話などが多く存在するのだが、「あの世」と「この世」を行き来する内容のものが多いらしい。

昔は、そういう認識が——、いわゆる「見えない世界」が当たり前にあったのだとか。それはどこの国でも同じなのかもしれない。

そして、その「見えない向こう側の世界」が、時たま、「こちらの世界」へちょっかいを出しに来るというようなことがあるらしい。

 

 

こちらの歌い手さんは、全員といっていいほど、目を瞑って歌を歌う。

演劇の訓練を受けてきた私にとって、「目を瞑る」というのは、「表現ではない」「内に籠っている」という認識が強いのだが、こちらの歌い手さんを見ていると、そうとも言えないのではないかと思えてくる。むしろ、目を瞑らないといけないような気さえしてくる。

 

「目では見えない世界」の神秘的な物語があふれているこの国で、このようにして目を瞑って歌を歌うというのは、理にかなっているのかもしれない。

 

 

 

話を元に戻すと、

「演じる」わけでもなければ、「読む」わけでもない。この「物語を伝える」ストーリーテリングは、独自の技術を要するかのようで、

私が聴いたストーリーテラーの女性は、身振り手振りを使って、それはそれは上手に観客を引き込んだ。

演劇とは違うものの、演劇の原点だと思った。

 

偶然にも、アイルランドの昔話に加えて、日本の話までしてくれた。

どこから探し出してきたのか分からないが、チヨという女性の「オナラ」の話で、大変面白おかしく、会場は笑いに包まれた。ストーリーテラーの女性が終演後私の顔を見て、「あなた日本人?ごめんね、失礼じゃなかった?」と謝るように話しかけてきた。

 

そういえば先日、私が大好きなダブリンの伝統歌唱倶楽部An Goilin40周年を迎え、そのパーティーにお邪魔した。

こちらの伝統の歌は、口頭伝承で引き継がれることが多いので、その歌たちがこの世から消えないように、この倶楽部ではその歌たちを必死に守り抜き、歌を「集めて」いるようだ。

お年寄りだけではなく、若い人達も集まり、多くの優秀な歌い手を輩出している。

まさに温故知新である。

 

 

 

先日、とある歌い手さんが、かつてアイルランドで書かれた詩はすべて「歌われていた」という話をした。

 

こちらの歌は、「マイク」がとても似合わない。もともと遠くにいる人ではなく、至近距離にいる身近な人に向けて、歌われたからであろう。

それほど私生活に基づいているものだから、特に飾り立てることもない。

 

そんな風にして、セントパトリックデーには、アイルランドの文化を、国を挙げてめいっぱい祝福する。

 

それにしても、こちらの人たちは、本当によく「物語る」人達だ。