目の前に、新しい家族が引っ越してきた。
あまり子供がいない通りなのだが、
その家族にはまだ小さい男の子が三人いて、
毎日、目の前の通りを走り回るものだから、
一気に通りがにぎやかになったように思う。
子供がこけて泣き出す声、母親が子供をしかりつける声、
どれだけ騒がしくても、子供の声というのは気にならないものである。
そのお母さんというのが、ポーランド出身の方なのだが、
いつも笑顔で大らかで、
ポーランド訛りのゆったりとした英語がまた心地よく響く。
まさに「母」を思わせる、よく笑い、大きくて、太陽のような人だ。
子供たちは英語で喋るのだが、お母さんはいつもポーランド語で
子供たちに語り掛ける。
面白いことに、子供たちは母親の言葉が喋れなくても母親の言葉を見事に理解している。
ストリート・パーティーが開かれた時に
そのお子さんの一人がテーブルに乗っているケーキをガン見しているので、
「食べたいの?」
と聞くと、即座に「うん」とうなずき、
まっさきにケーキの上に乗ったイチゴを指さした。
子供は、自分の欲しいものがしっかりと分かっている。
なぜ大人になると、こんなにも単純なことが分からなくなるのかと不思議に思う。
アイルランドは、少しずつだが感染者数がまた増え、
政府は再び規制を強化した。
そんな中、政府の大臣たちが50名以上のゴルフの会合に参加していたことが判明し、
(室内の集会は、50名以下でなければならない)
これまで真面目に規制に従ってきた国民の怒りが爆発。
次の日のラジオでは、国民が怒りをあらわにし、
大臣たちは、さっそく辞任したり、謝ったりと大忙し。
最近はずいぶんと政界が騒がしかった。
私の印象として、アイルランドの人達は、しっかりと怒りをあらわにする。
しかも、怒り方がなんともさっぱりしている。じめじめしていない。そこがいい。
近所の公園に高級マンションとホテルが建つ計画が進んでいるのだが、
近所の住人たちは怒り心頭。すぐに怒りをはっきり表し、
さっそく署名を集めて提出した。
「お金儲けにしか興味のないやつらに負けないわ!」と
近所の奥様方は非常に意気込んでいる。
ダブリンには、まだ高層ビルがない。
一番高いビルで6-7階建てというところだろうか。
これもやはり、しっかりと国民が声を挙げているからではないだろうか。
「怒り」はどうしても「負」のものとして受け取られがちであるが、
私は、こういう彼らの姿勢を見て、
しっかりと気持ちや感情を露にすることは前向きなことでもあるということを
改めて学んでいる。
近所に住む女優さんは、ブラック・ライブス・マターの運動が起きてすぐに
「ブラック・ライブス・マター」のプラカードを掲げて道路にずっと一人で立って抗議していたのだとか。
心無い言葉を浴びせられても全く動じない強さには、もう脱帽の一言。
私だったら、そんな言葉を浴びせられた瞬間、
ショックでその場で倒れているに違いない。
アイルランド人は、昔差別されていた側なので、人種差別なんてないだろう……と思うかもしれないが、実際、人種差別は存在する。
この運動を機に、次から次へとアイルランドに住む外国人たちが声を挙げるようになった。
アベイ国立劇場主催のオンライン企画では、
一般から公募した「アイルランドへの手紙」を俳優たちが読み上げた。
ブラック・ライブス・マター、移民問題、住居問題など、
国民の怒りが、どんどん露になった。
また、政治界の人物も続々登壇し、詩を朗読した。
「それでも私たちは創り続けなければならない」
そんな熱いメッセージが込められていた。
普段、かなり多様性に欠けるアイルランドの演劇界だが、
今回は、相当多様性を意識したようで、あらゆる人種の俳優が登壇した。
「なんだ、戯曲じゃないじゃないか、演劇じゃないじゃないか」、と仰る人もいるかもしれないが、コロナ時代に突入し、時代が変わろうとしている今、
改めて立ち止まり、
世の問題と向き合いそこからスタートすることはとても大事なことのようにおもう。
なにせ、演劇はやはり世に掲げる鏡なのだから。今ある問題に真っ先に向き合う瞬発力と身軽さに感服した。
しかし、彼らの「怒り」は、妙に軽やかだ。
決して、重くならない、深刻になりすぎない怒り。
演劇作品にも、そんなところが反映されているように思う。
アイルランドの作品というと、どうしても「ダーク」な部分がフィーチャーされがちだが、
彼らは怒りや悲しみを笑いに変える天才だと思う。
そんな「笑い」がふんだんに散りばめられた
アイルランドの演劇作品を日本に紹介するのは、私の夢でもある。
コメディと言う風に簡単にカテゴライズできない、
しっかりとした深みが下地になっている作品。
まだまだ長い道のりであるが、
先日、日本の演劇界の先輩たちとオンラインで、
最近翻訳した戯曲の読み合わせを行った。
ドキドキしながらも、
読みながら「笑い」がふと姿を現した時はほっとした。
怒っても泣いても、最終的には笑いにできたら最高だ。
日本とは違う、肌寒い夏に戸惑いつつも、
まるで秋を思わせるような風を思い切り吸い込む。
あのミーンミーンと蝉が鳴く、まとわりつくような熱さを、少し懐かしく思いながら、各家の暖炉から漂う泥炭の香りにドキリとする。
きっといつかこの香りが、生まれ育ったカリフォルニアの太陽や、
日本のお線香代わって、私の「なつかしさ」の代名詞になるのかもしれない。
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