maimaiomaiのブログ

アイルランドと日本の狭間で 言葉を解き、紡ぎなおす者として

どちらでもない

出会いに溢れた9月だった。

こちらの演劇界にいると、自分の代名詞をThey/them(彼ら)とするノンバイナリーのアーティストと出会うことが多々あり、代名詞を使うたびに緊張していたのだが、そんなことも最近は少しずつ慣れてきたように思う。ノンバイナリーと名乗っている人たちは、実際お会いすると、本当に男性とも女性とも言えない中性的な存在で、不思議な魅力を持つ方たちなのである。

9月はダブリン・フリンジ・フェスティバルが開催され、フェスティバル主催のイニシアティブに参加しているのもあり、いろんなバックグラウンドを持つアーティストと接する機会があった。あまりの価値感の違いに眩暈すらすることもあったが、得たいの知れない何かにエイヤ-っと背中を押されるかのように、いろんな人たちと交差した一カ月だった。

最近は、頻繁にアイリッシュ・ライターズ・センターや、ダブリン・フリンジ・フェスティバルの本部の建物を出入りしている。こちらに移住して3年以上経ったが、ふと誰かとあいさつをしたり、世間話をしているときに、嗚呼、私はアイルランドに移住したんだ、と急にドキっとする瞬間がある。

あらゆる奨学金やメンターシップを経て、自意識過剰になる余裕もなく、緊張する暇もなく、おのずと、躊躇なく自分が書いたものを人に見せられるようになってきた。

時間はかかるものの、こちらでは、舞台作品にせよ、詩集にせよ、作品を発表するまでの道のりがはっきりとしていて、真面目に書き続け、作品の意図さえしっかり伝えられれば、しっかりとバックアップしてくれる。大変だが、理不尽なことがほぼ無く、前向きに頑張れるのがいい。

書いて、消して、書いては、また消して、書いては、削って、を繰り返しながら、徐々に、作品の芯のようなものが見えてくる。この芯が見えたときの感動は、筆舌に尽くしがたい。何か月間、もしくは、何年も作品と向き合っているなかで、必死に手招きをしていると、ふと、どこからともなく姿を現す。

先日、メンターと話をしているときに、こんなことを仰ってくださった。

「あなたの書く作品は、特定のジャンルに振り分けることができない。自伝のようでフィクション。エッセイのようでもあり詩のようでもある。だけど、そこが素敵なので、それは是非貫いてほしい」

敢えて他者が言葉にしたとき、それが、自分がとても大切にしていたことだということに気付く。

そんな体験を経て、ノンバイナリーと名乗る方たちの、「どちらでもない」特異なアイデンティティーのようなものが、理解できた気がしたのである。

1か月ほど前から我が家の庭を訪れるようになったコマドリの赤ちゃんは、たった1か月のうちに、みるみると羽の色が変化していった。羽がひとつひとつ絶妙に生え変わる過程は、もはや芸術。夫と毎日楽しみにしながら、観察している。

毎日、毎日、ひたすら書き続けているからか、日ごとに変わり続けるコマドリの羽の進化を見ていると、私自身も少しは進化しているように感じられる。

昨日、窓際でいつものように執筆に励んでいると、窓の隙間から、小鳥の羽が一枚ひらり部屋のなかに入ってきた。手にとって、光に当てて観察してみたら、そこには、おどろくほど綿密な模様があって、自然の創造力に脱帽すると同時に、私も自然の一部であるという事実に、励まされるのであった。

Axis Ballymun / axis Assemble Artists

https://www.axisballymun.ie/assembleartists2023

 

Foundation Programme by Irish Writers Centre and Dublin Book Festival

https://irishwriterscentre.ie/announcing-the-2023-iwc-dbf-foundation-programme-participants/

 

Weft Studio by Dublin Fringe Festival

https://www.fringefest.com/news/announcing-weft-studio-artists-2023-2024

 

Eighth Annual Kyoto Writing Competition

https://www.writersinkyoto.com/2023/06/17/writing-competition/unohana-prize-mai-ishikawa-eighth-annual-kyoto-writing-competition/