狭間で

大学のサークルから劇団が生まれる傾向は日本で良く見られるが、アイルランドでも、それは同じである。
トリニティ大学には、DUプレイヤーズという学生の演劇集団(ドラマ・ソサエティー)があり、今まで数多くの演劇人を世に送り出してきた。所謂、演劇の専門学校や芸術学校とは異なり、参加者は演劇ではない学問を専攻している学生も多いのだとか。しかし、こういった別のことを学んでいる学生たちが演劇をやると、非常に面白い視点でモノを生み出すのである。もちろん、何をやるにも多少の専門性は必要なのだろうが、それと同時に、視野を広げて、境界線を跨ぐ大切さを思うのである。

今回、創作でご一緒したのは香港とアイルランドのハーフであるデザイナー/シアター・アーティスト、Choy-Ping Ní Chléirigh-Ng (チョイ・ピング・ニー・クレーリグ・ング)吳彩萍だ。彼女もDUプレイヤーズ出身である。DUプレイヤーズ出身同士、とても強い絆があるようで、今回の作品に関わったクリエイターの多くがトリニティ大学出身だった。誰もが、すばらしく優秀で(それに、恐ろしいほど優しい)、私は有難いことに、ひたすらパフォーマンスに集中することができたというわけである。

香港とアイルランドの狭間で生きてきたピングは、米国と日本(今は、アイルランド)の狭間で生きてきた私と共通するものを沢山持っている。お互いに、「居場所」を模索しながら作品を作っているように思う。今回は、ピングによる、映像とムーブメントと言葉を駆使した作品『The Madonna of Asia』にパフォーマーとして出演させていただいた。題名の響きは煌びやかであるが、とてもシンプルで静かな、美しい作品に仕上がったように思う。

アイルランドを拠点に置く東アジアのクリエイターとアイルランドのクリエイターをあれだけ集めることができたのは、彼女の人徳あってこそ。香港映画の黄金時代にインスパイアされた作品で、ウォン・カーウァイ作品を思わせるような色使いは美しかった。ステレオタイプではない、成熟したアジア人女性を描きたいというピングの強い想いから実現したこの作品は、アイルランドの観客に新鮮に映ったようだ。50分近く、たった一人で舞台空間を埋めるのは決して容易くはなかったが、いわゆるダンスと演技の狭間のような、私が心から好きなムーブメントの領域を存分に追求させていただいて、しかも美しいデザインや照明に助けられ、贅沢な創作時間だった。広東語と日本語と英語を交えた上演だったのだが、人種間でのヘイトが蔓延る中、とても意義ある上演だったと思える。

色々な場所を転々として生きてきた私は、どうしてもルーツを探ろうとすると、自分が中途半端な人間に思えてならないことが多いのだが、限られた時間内で、今ある、ありったけの自分を使うことだけに集中した。日本人の身体と声で表現できることを、精一杯、私なりに表現できたように思う。
あるベテラン俳優さんが公演後に熱心に握手しにきてくださったのは、大切な思い出である。個人的に、公演後に出演者に話しかけるのは今でも苦手だが、私もいつか、こういう素敵なベテランになりたいものだと思うのである。
旦那さんも、舞台上を動物のように這い回る私を見て、私がリハーサル中ずっと魂が抜けた状態だった理由を理解したようだった。

そんなこんなで、詩の執筆にも必死な今日この頃。こちらのThe Stinging Flyという文芸誌が主催する数か月間に及ぶ詩作のワークショップの奨学金をいただき、これまた、無い脳みそを絞り出して、毎回変な汗をかきながら参加している。ただ、このワークショップ、構成もファシリテーションも素晴らしく、詩人として本当に大きく成長させていただいている。一つの目標であった文芸誌Poetry Ireland Reviewにも初めて私の詩が今月掲載される。
もともと、どこにも属せない体質である。しかし最近は、どこにも属さないという属し方がとても心地いい。あらゆるものの「狭間」という場所は、意外と見晴らしがいいものだ。

若いころは、まだまだである自分が苦痛でしかなかったが、今は、「まだまだ」が楽しい。ああ、まだ伸びシロがあるのだな、とホっとするのである。「まだまだ、まだまだ」と言いながら、道がどんどん伸びて、どこか素敵な場所に連れて行ってくれるような気がしている。
三十までに芽が出なければ諦めろ、と昔はよく言われたものだが、一体だれがそんなことを言い出したのだろうか。芽が出るタイミングなんて、人それぞれ。若い人からも、ベテランの方からも、私はまだまだ、どんどん学びたい。
All photos by Aiesha Wong
真剣である限り

いつ、どこで見たのか覚えていないが、お笑い芸人の江頭氏がお尻から粉を出す芸について語っている映像を見たことがある。普通にそんなことをしたらただの変態だが、真剣に追求すれば芸になる、というような内容だったと思う。
今回ダブリン・フリンジ・フェスティバルで上演した作品は、オーディオ・シアターと呼ぶべきなのか分からないが、テキストはすべて前もって俳優たちと収録したものがスピーカーから流れるというものだった。基本、えんえんと続く、詩的な会話 である。架空の電車の中という設定で、電車のサウンドスケープや車内アナウンスも相まって、観客は電車の中で二人の会話を盗み聞きしているような錯覚に陥る。しかし、観客が見ているのは、目的地に向かって45分間かけてゆっくりと椅子を運び続ける私の姿だ。椅子は、抱え方を変えれば、いろんなものに見える。アイルランドで上演したからか、十字架を背負うイエスみたいだった、という感想もあって、興味深かった。

椅子を炭で覆い、時間が経つごとに私の身体に炭の跡が残っていくというのはどうか、というアイディアを提案してくれたのはセットデザインで参加してくれたマーだった。才能溢れる、演劇界の希望の星である。身体がどんどん炭で黒くなっていく過程は、登場人物が抱える恥、生きづらさ、社会の突き刺すような視線、現実の重みなどを表してくれるように思えた。マーをはじめ、サウンドデザインのベン、照明のケヴィンなど、本当に才能溢れるデザイナー陣にめぐまれたのは、まさに奇跡であった。
幕が開く前は、メディアにまったく取り上げられず拗ねていた私だったが、初日が開けた途端、劇評家らがどこからともなくひょっこり現れ、アイリッシュタイムズ紙を含め、4つ星の劇評をいただいた。劇評が集客に影響を与えるというのを初めて身をもって経験したわけである。おかげ様で最終日は満席で迎えることができた。
観客の多くは、あまりの作品の静けさに圧倒されたようだ。ただ幾人からいただいた「静かに力強い」という感想は、日本人としてのアイデンティティーを全うしたようで嬉しかった。やはり、派手さでは、こちらの人には勝てない。せっかくだから無駄にそこで戦うのではなく、ミニマルの極限を追求したかった。数がものを言うこの時代、奇をてらうことなく、ただただ無駄を削り本質を追求する作業は、時に苦しく、孤独でさえあった。
ただ椅子を運ぶと言っても、けっこう重い椅子だったので、かなり身体を鍛える必要があった。下手をしたら腰を痛めることになる。
もちろん改善の余地はたくさんあるのだが、精一杯やったということで、今は何とも言えない達成感に浸っている。ただ、創作の初期の段階で、椅子を運ぶというアイディアを鼻で笑い、色々な心ない言葉を並べて私を止めようとしたベテラン陣のことがいまだに心の隅に引っかかっている。こういう大人の恩着せがましい態度が若者(私はもう若者ではない)の夢を潰すのではないか。私はもういい年なので、何を言われたってたいして失うものはないが、これが二十歳の私だったら、きっと挑戦する前に自分を責めて、自虐的になっていたに違いない。私が彼ら側に立った時、たとえ無謀に見えたって、絶対に若者の挑戦を笑ったりはしない、と心に誓ったのである。江頭氏の言うとおり、十分に真剣であれば、なんだって芸術になりうるのだから。

なにはともあれ、毎日毎日、二階の部屋でゼーゼー言いながら椅子を運ぶ私をあたたかく見守ってくれた旦那さんには感謝しかない。
見てくれた女優さんが、「私たちの仕事は、人の心を動かすことだよね、それを改めて思い出した、ありがとう」と涙ながらに言ってくれたのは嬉しかった。
人の心に届けることが我々の仕事ではあるが、最終目的が他者の評価であってはならない。本当に自分が作りたかったものを作ったかどうか、安全地帯であぐらをかいてはいないか、何歳になっても、常にそこで勝負できる人でありたい。
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本音と建前

先日、旦那さんに、京都で食後にお茶を出されたら、「帰れ」っていう意味なんだよ、と言う話をした。
やや誇張された小話だとは思うが (元は、ぶぶ漬け)、京都の人にかかわらず、本音と建て前を使い分ける日本人の特徴を説明するのにとても便利なたとえ話だと思う。ただ、そんな話をしたときに、旦那さんは、「そのお茶は、無料なのか?」という反応がかえってきた。そういえば、こちらでは、どんなお茶であろうと、無料でお茶が出されることはない。

アイルランドで自分の演劇(?)作品を上演するにあたり、数々の話し合いや交渉を経て分かったことは、こちらで言葉を濁すようなことをすれば、何も理解されないで終わる、ということである。日本人同士では通用するようなオブラートに包んだ表現は、即座に蒸発してしまう。そもそも、口を濁す理由は、相手を傷つけないようにしているからだと思うのだが、それができない状況で、角が立たないように自分の意志を明確に伝えるのは至難の業だ。一時は、何を言えばいいのか分からくなり、メールを見るのも嫌な時期があった。

昔、夜な夜な歌を歌っていた銀座のクラブのママに、「あなたって、バロメーターみたい」と言われたことがある。外見と中身にギャップがあって、私と接する人を見れば、その人の本質が試される、という意味だったと思う。海外へ移住してもそれは変わらない。さらには、アジア人という外見がまとわりつくので、時折「ミステリアスで繊細な子羊」という見られ方をして、まるで私が子供であるかのような接し方をされることが多々ある。サッチャー首相が、首相になった際に声を劇的に落としたことは有名な話であるが、とてもよくわかる。こちらへ来て、おそらく私の声のトーンは1オクターブ落ちた。そうでもしないと、とにかく私の声も言葉も、空気と化してしまって、どこにも届かない。
ただ、私は何歳になっても、子供なのは確かなのだが。

この過程を経てつくづく思うのは、私たち日本人(簡単にひとくくりにはできないけれど)がいかに内向きであるかということである。特に表現においては、やはりこちらの表現の大半はエネルギーが外に向かっていて、この内向的な表現を理解していただくのに、時折苦労する。
ただ、内向きな自分を、内向きのままにしていてはどうにもならない。どうにかして内で渦巻いているものを言葉に落とし、文化の壁を乗り越え、誤解のないように相手に伝えなければならない。西洋の表現を押し付けられることがあっても、しっかりと、「いや、私はそっちの方向へは行きたくない」、と伝えなければ、誤解されたまま、自分のアイデンティティーを見失ってしまうだけである。

何よりも大変だったのは、クリエイティブ・チームや俳優から信頼を得ることだった。良い年をして、新たな地で人生を仕切り直したも同然な私にとって、5年かけて書いた脚本が唯一の身分証明書であり、名刺代わりであった。ステレオタイプを乗り越え、自分の能力を証明するには、まずは自分で自分を信頼するしかない。それが、想像を絶するほど難しく、かつてないほど自分と向き合ったように思う。それでも、どこの馬の骨とも分からない私を信頼してくださったクリエーター陣、俳優陣には感謝しかない。何歳になっても「初めて」がある。それは、ある意味、嬉しいことであり、希望である。

最近の演劇はやたらとリアリズムを求められるのだが、創作過程で私は執拗にそれを拒否してきた。メンターと亀裂が生まれたこともあった。私の中で、演劇には詩がなければ意味がないという、どうしても譲れない、強烈な想いがある。
リアリズムではない、詩であるという執拗な抗議は、私のこの外面は本当の私ではない、という飽くなき抗議と似ている。日常で演じすぎた私は、どうしても、内なる詩的な世界の方がリアルなのだ。
そのうち私もうんと年をとって、バロメーターではなくなって、白髪がどんどん増えて、本音と建て前の間に一ミリも空間がなくなって、私の存在そのものが詩になれば本望である。

赤とんぼ

「この歳になって今更、復学して医者になるわけにもいかないじゃない?他に脳がないんだし、この道を歩き続けるしかない。でね、歩き続けてたら、意外となんとかなるものなのよ」
最近知り合ったアーティストの素敵な言葉である。
彼女はいわば語り部(storyteller)のような存在で、自分の人生の話を舞台化している。今、自伝的な演劇作品は流行っているが、彼女の作品は特別。自己憐憫が皆無で、映画のドラマツルグのような仕事(ストーリー・コンサルタントと言うのだそう)をしているからか、物語の構成がお見事。壮絶な人生なのに、とても軽やかで、笑いすら誘う。
確か、八代亜紀さんが、歌う時に決して感情を露わにしない、あらわにした瞬間、観客が泣く機会を奪ってしまう、と言っていたのを覚えているが、まさにその通りで、彼女が壮絶な人生を軽やかに笑いを交えて語れば語るほど、見ている側は、涙があふれてくる。

Self-sabotage という言葉がある。
サボタージュなので、サボる、という意味なのかと思いきや、ちょっと違う。「自己破壊行為」などと訳されるが、「自分が本当に歩みたい道を自ら妨害する」、というような意味だと私は理解している。
(考えてみると、サボることだって、ある意味、自己破壊行為になのかもしれない。)

自己破壊行為というと、なんだか大袈裟に聞こえるが、私は、昔からその傾向があり、欲しいものに手が届くまで手を伸ばし続けることができないというか、手を伸ばしたとしても、途中で手を引っ込めてしまうようなところがあった。
そういう傾向のある人は、手を引っ込めることすらできない状況に自らを追い込むというのも一つの手ではないかと思う。なにせ現在、私自身がそんな状況にあり、それが大きな学びになっているからである。
いま、演劇作品の上演に向けて奮闘しているのだが、もう考えることが多すぎで、脳みそが焦げているような気がすることが多々ある。

フェスとのやり取り、俳優さんの事務所とのやり取り、他のアーティストとのやり取りとミーティング、最終稿に向けての話し合い。
何せ、人に何かを頼むのが、昔から苦手である。ただ「ミーティングしませんか?」と聞くだけなのに、毎回「プラダの鞄を買ってくれませんか?」と言っているような気がするほどで、もうこればかりは慣れるしかないのだが、最近は少しずつそういったことにも慣れてきて、なるほど、自分が譲れない、大切なことを成し遂げようとする過程でしか学べないことがあるのだな、としみじみと感じている。
冒頭の彼女の言うように、歩き続けていたらなんとかなるのかもしれない。

そういえば、先日、伝統の歌を歌う、ダブリンの由緒ある歌唱倶楽部An Goilinへお邪魔した。ここへ来ると、プロではなくったって、誰もが、腹の底から、大きな声で歌いたいのだな、と思う。ホストの方が、「あなたも歌いませんか?」と言うので、『赤とんぼ』を歌った。日本にいた頃は、特に気にも留めたこともなかった歌だが、こちらへ来て初めてその良さが分かる。
ちょうどその日は聖金曜日(グッド・フライデー)で、ある女性が、磔になったイエスに関する聖歌を歌った。私はキリスト教徒ではないが、心の琴線に触れるものがあった。一方で、会が終った後、その歌を歌った女性は、私に、「あなたの歌、とても良かった」と声をかけてくださった。
日本語で歌ったので、十五で嫁に行って便りが途絶えた「ねえや」のことなど分かるわけないのだが、何かが伝わったようである。



Beginnings Over and Over
まるで子供のように

こちらにいると、謙遜というのは、どう身体で表現すればいいのだろう、とよく思う。あまりにも深々と頭を下げても不審な目で見つめられるだけなので、奢るわけでもなく、謙遜するわけでもなく、ただ状況を受け入れ、そこに存在するしかない。そんな、なんでもないことが、意外と難しい。

先日、詩人シェイマス・ヒ―ニーに因んで建てられたシェイマス・ヒ―ニー・センター(ベルファスト)にご招待いただいた。シンポジウムの一環で、現在書いている戯曲(?)の一部のリーディングが行われたのである。心の準備がまったくできていないまま、言われるがままにベルファストへ赴いた。こちらの女優さんがたが読んでくれたのだが、自分が英語で書いたものをプロの俳優さんに読んでいただくという事実に圧倒されて、感動する暇もなく、「いやいや、私なんて」、などと遜る余裕すらもなく、ひたすら朦朧としながら過ごしたように思う。

いろんな方から素敵なお言葉をいただいたような気がするのだが、やはり朦朧としていて、褒められても、終始、嘘をつかれているような気がしてならなかったという、なんとも不思議な体験だった。

今回のリーディングを経て、「間合い」について深く考えさせられた。日本人は、本当に「間」の感覚が独特なのかもしれない。日本人だという自覚が少ない私でも、やはりこちらでは、自分の間合いの独特さに気付くのである。こういう自分のこだわりや独特の感覚を、遜ることなく、こちらの人にしっかりと伝えることがとても大事で、相手との溝を把握しながら、それを埋めるためのボキャブラリーをできるだけ多く備えておくことが必須なのだ。

一方、作品は、上演に向けて、着々と進んでいる。つくづく思うことは、作品というのは、人に触れてナンボだということだ。空気に触れて、味が変化する赤ワインと言うべきか、友だちとぶつかりながら少しずつ人格を形成していく子供と言うべきか。「変」だと笑われたり、意外な人に好かれたり、文化の違いに揉まれながら作品が自ら軸を見つけていくのを、心を痛めたり喜んだりしながら見届ける、そんな毎日を送っている。

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詩集 'Beginnings Over and Over'
ビューティフル・デイ

映画監督デビッド・リンチの悲報を受けて、彼のいろんな過去のインタビューを見返しては元気をもらっている。亡くなったのに元気をもらうなんて、なんて不謹慎な……と思いつつも、彼の存在そのものがとても軽やかで、身体という名の車を降りて、『もうガス欠か?さ、次や次!』と、スタスタと次の車へ向かっている清々しい彼の後姿が見えるかのよう。

Dublin Fringe Festivalから毎年一名のアーティストに創作資金(Break New Ground Bursary)が贈られるのだが、それに選んでいただいた。今年のフェスティバルの上演に向けて、全面的なサポートを受けることができる。ダブリン・フリンジは、既存の型を破る作品を推奨するフェスティバル。Break New Ground と、その名の通り、未知なる領域に挑戦しているアーティストに贈られる。百名以上の応募者から選んでいただき、こりゃ頑張らなあかん、と内心ドキドキしており、鉢の中をぐるぐる泳ぐ金魚のように、頭の中を作品がぐるぐる回っているのである。このフェスティバルは、しっかりとアーティストひとりひとりと対話してくれる。どんな作品を創作しているのか、フェスティバル・ディレクターと直接話すことができる。そして、数年前に話したことでさえ、しっかりと覚えていてくれるのだから、驚きなのだ。

しつこい性格を、少しずつ長所として使えるようになってきた今日この頃。短所は長所、長所は短所。長年、この作品と向き合って、やっと長い、長い、複雑な等式の答えが見えてきたような。

デビッド・リンチは、良いアイディアを思いついた日は、「ビューティフル、ビューティフル・デイ」だと言っている。そんな、めでたき日にアイディアを「釣った」のなら、忘れないように書きだすこと。そのアイディアについてずっと考えていると、さらに、アイディアの欠片が、うようよと寄ってくる。それを繰り返しているうちに、気が付けば、脚本が仕上がる。
実は完成されたパズルがすでに隣の部屋にあるのだが、一欠片ずつしかこちらの部屋にやってこない。そんなことを語っていたが、そういえば、この4-5年、私も、そんなことをずっと繰り返していたように思う。

詩を書いていてもそう。パッと詩のアイディアを思いついた日は、それはもう胸がいっぱいになるので、まさにビューティフル・デイと言える。
そんな風に考えると、なんて人生とは安上がりなのだろう、と思う。

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幽霊屋敷

なんの芝居だったか思い出せないが、「家」が一人の登場人物のような役割を果たす劇があった。
北アイルランドとの国境付近にあるTyrone Guthrie Centreは、作家をはじめ、あらゆるアーティストが創作のために滞在する施設、というか屋敷である。アーティストに大人気で、予約は一気に埋まってしまうのだとか。夜の7時には、滞在中のアーティスト全員が夕食の席につき、食事を共にする。テーブルに携帯を持ち込んではならない。子供にめぐまれなかった作家のTyrone Guthrie氏が国(アイルランド)に寄贈した家である。

このTyrone Guthrie Centre で、MAKEというアーティスト・レジデンシ-に参加させていただいた。約190名の応募者の中から選ばれた15名のアーティストと、インターナショナルな(今回はリスボン、ヘルシンキ、レイキャビクから)メンター3名が1週間この施設に滞在し、切磋琢磨しながら創作する。

選考基準は分からないが、どのアーティストも、キャリアの大小にかかわらず、新境地を開拓しようとしているアーティストばかりだった。だからこそ、かなりの経歴を持つアーティストも腰が低く、自分のクセを自覚し、既存の型を破ろうと必死であった。経歴がなんであろうと、新たな表現を模索している人たちが集まったからこそ、変な力関係が一切生まれず、終始、和やかだったのだと思う。
私のメンターのラグナヘイドゥル(現在はノルウェーとアイスランドの演劇祭でプログラマーとして活躍している)は、飴と鞭をうまく使って私たちを追い込んでくれた。誰一人心を病むことなく、奢ることなく、怠けることもなく、誰もが必死に、楽しく、自分の限界を試していた。

このアーティスト・レジデンシ-は、Dublin Fringe Festival、Cork Midsummer Festival、Project Arts Centre、Performing Arts Forumのサポートにより毎年開催されるのだが、かなり上手く設計されている。

グループでセッションをする時間と、個人で作業をする時間と、最後のプログラマーを交えてのシェアリングの時間と、メンターと過ごす時間と、とにかくそういった時間の割り当てのバランスが絶妙だった。

数年間書き続けてきた戯曲の最終稿の執筆、作品のフォーム(型)を探るのが今回の滞在目的だったのだが、自分がどういう表現者なのかということを真剣に考えた一週間だった。誰かの真似でもなく、「日本人」というレッテルにしがみつくのでもなく。うまく言葉にできないが、その答えの裾の部分をやっと掴んだような感触があった。
メンターは、質問がひとつずつ書き込まれた紙切れを何枚か用意していた。私たちに、毎朝一枚引くよう指示するのだが、ある日、私が引いた紙には、こう書かれていた。
「他の人の人生をよりよくするために、(芸術家として) あなたができることはなんですか?」
私は前々から、芸術を追求することに対して大きな罪悪感を抱いていて、芸術の力を信じ切れていないところがあったのだが、この1週間、他のアーティストたちの表現を目の当たりにして、私は芸術の力を信じ切れていなかったからこそ、今まで中途半端に芸術を受け取っていたなと気づいて、大きなつかえのようなものがスッと消えていった。

この屋敷は、創作し足りない芸術家の幽霊がうろついているような、奇妙な存在感を放っていた。なにかの生き物のように、常にうごめいていたように思う。
最終日、荷物をまとめ、廊下でバスを待っていると、次の宿泊者の女性が入ってきた。
女性は、家の装飾に見惚れながら階段を登る。そんな瞬間、屋敷は、いたずらを企む子供のように、じっと息をひそめているように見えた。

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