maimaiomaiのブログ

アイルランドと日本の狭間で 言葉を解き、紡ぎなおす者として

サンタのいないクリスマス

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幼い頃、私にとってサンタは神だった。

 

サンタが来なければ私の人生は終わると心から信じていた。むかし、母が焼いたサンタ型のクッキーがたくさん乗った鉄板を床に落としてしまい、すべて割れてしまったとき、ソファーの後ろに隠れて絶望的になっていたのを思い出す。きっとサンタが見ているに違いない、よってサンタは来ない、私の人生はおしまいだ……と涙に暮れた。罰せられるのを覚悟で、恐る恐るソファーの裏から這い出ると、砕けたサンタのクッキーは生まれ変わっていた。砕けたクッキーのヘンテコな形を生かしながら、楽しそうにデコレーションする母と姉。

 

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ディケンズの『クリスマス・キャロル』には、サンタは登場しない。

 

私はアイルランドに来てから、サンタのいない「もうひとつのクリスマス」を目撃した。慈善団体の人たちが路上に立ち、足踏みをしながら、小銭が入ったバケツをジャラジャラと鳴らす。ホームレスの人たちに食事を配るブースでは、もくもくとスープの鍋から煙が立ち上り、夜になれば商店街はしんと静まり返る。そして、教会のミサに集まった人々は、静かに神父の話に耳を傾けながら目を伏せて祈るのである。

 

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ミサの途中で、「平和と共にあらんことを」(意味としては、「あなたの心が穏やかでありますように」といったところだろうか)と言い合って、見知らぬ人と握手をしなければならない。日本人にはなじみのない行為であり、スターウォーズの台詞「フォースと共にあらんことを」とどうしても被ってしまう。身体が一気に硬直して、「平和」を「フォース」と言わないように気をつけながら、ぎこちなく周りの人と握手を交わす。

 

崖の上から飛び降りるような気分であったが、ことが終ると、なんとも清々しい気分に包まれた。これがクリスマスというものか、と私は感動した。

 

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思えば、訳す戯曲と共に人生を歩んでいる。イヴ・エンスラーのボスニア内戦を描いた戯曲を訳した後、私の心は、生まれ故郷の米国から離れた。ソニア・ケリーの『橋の上のワルツ』の後は、どんな外力も巻き込みながら、人生を舞う術が身についたように思う。北アイルランド紛争を描いた『サイプラス・アヴェニュー』を訳しながら、米国から日本に帰国した当初、自分のアイデンティティーを保つために、日本の文化をひたすら拒絶し、ノーと言い続けたかつての自分を理解した。

 

そして先日、今回翻訳させていただいた『クリスマス・キャロル』の根底に流れるものに触れた。知らぬ間に一センチ、二センチと上がっていた肩が一センチ、二センチと下がり、一つ、二つ、と増え続けていた眉間のしわが、すっと消えた。

 

家の本棚に、○十年前に、夫が親戚から贈られた本『クリスマス・キャロル』が埃をかぶって眠っていた。一九五九年、と書かれている。表紙はボロボロで、紙も黄ばんでいる。表紙をめくると、あどけない字で書かれた夫の名前。よほど好きだったのか、誰にも渡したくなかったのか、あらゆるページに夫の名前が色んな色で記されている。幼い彼が夢中になって読んでいる様子が目に浮かぶ。その○十年後の今、私が、その本とにらめっこしている不思議。

 

アイルランドは、また感染者数が上昇中。今年のクリスマスも、いつものように集うことはできないかもしれない。

さてさて、今年のクリスマスは、サンタのクッキーでも焼こうか。

 

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美しさを愁いて

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「世の美しさを愁える

一瞬で過ぎ去る美しさよ」

 

カフェに座って珈琲をすすっていると、そばに座った中年の女性が突然、

パトリック・ピアースの詩を朗々と詠みはじめた。

現実と夢のはざまの細い空間を見つめるような少女のような瞳。真っ白な髪の毛をきれいにみつあみにして、額の上にきっちりと巻き付けている。

「私ね、詩人なの」

人目などまったく気にせず、その女性は次から次へと詩を詠んだ。一言一句、完璧に暗記している。詩が大好きな相方も、そこへおのずと加わった。

 

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翻訳させていただいたアイルランドの戯曲「橋の上のワルツ」(ソニア・ケリー作)の公演と配信が終った。大好きな作品だっただけに、とてもさみしい。今回は、創作の過程ひとつひとつにかかわらせていただいて、思い出深い作品となった。

詩心にあふれ、リズミカルで痛快な作品だった。ひとつの交響曲を訳しているようだった。

俳優が役を通して、何かを手放す瞬間を何度か見たことがある。出会うべく役が、役者の人生と呼応し合う。必ずしもそれを機に役者が突然有名になるということでは決してないのだが、役と俳優の人生が同じ軌道を周回する二つの衛星みたく無重力のダンスを舞って、それからゆっくりと離れていく。

そういう瞬間を今回は見た気がした。また、畑も質もまったく異なる三人の俳優たちが、深い懐と熱い情熱を兼ね備えた演出によって、一つのワルツになった。

日本は劇団によって俳優の質がとても異なるように思うのだが、国際演劇協会という中立的な土台があったからこそ、こういうことが実現できたのだと思う。個人的にこれが、とてもうれしかった。ゲール語指導をしてくれた相方にも感謝。

こちらで配信を見ながら、ところどころに響き渡るお客さんの笑い声に聞き入っては、生の舞台の楽しさを懐かしく思った。美しさを愁えるとはこういうことかと、最後の配信を惜しんだ。

 

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白髪の女性は、一通り詩を詠み、思う存分歌を歌ったあと、「もういかなきゃ」と言って急に立ち上がる。「あらあら、どのバスに乗るんだったかしらねぇ」と言いながらお店をあとにした。

 

現実と夢の間にひそむ詩的な空間に守られていて、そこから一歩も出たことがないような、妖精のような女性だった。

 

必死に追いかけて、ほしいものが手に入った経験があまりない。おかれたところに咲くほうが、性に合っているらしい。だから私の人生、すべてが後付け。

アイルランドに来たのは、まぎれもなく相方がきっかけなのだが、同時に、私はこのアイルランドの詩心に惹かれてここへやってきたのかもしれないと去っていくその女性の背中を見ながら思った。

 

「あんな風に生きられたら、幸せだろうな」と言うと、相方が、

「まだ早い、まだ早い。もうちょっとあとにしてくれ」と苦笑いをした。

 

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ラストワルツは私に

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「すべてのバスの運転手に捧げる」

 

最近翻訳させていただいた、現在シアターグリーンBase Theaterで上演中のアイルランド戯曲「橋の上のワルツ」(ソニア・ケリー作)の冒頭部分に書かれた一文である。

 

戯曲と向き合っていると、その内容に近い出来事を引き寄せることがよくある。

四六時中、その作品についてああでもないこうでもないと思いを巡らせているわけだから、当然といえば、当然なのかもしれない。

 

アイルランドも徐々に規制が緩まって、近くでゲーリックフットボールの試合が行われれば、近所はユニフォームを着たファンたちであふれかえる。この18か月間ずっと抑え込んでいたエネルギーが一気に爆発するかのようなはじけ具合だ。

 

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先日バスで街へ出かけた際、試合観戦帰りとみられる女子たちがバスの中でワインをラッパ飲みしていた。真ん中でワイワイやっている女子の後ろで、男性陣は椅子に張り付き、ドン引き。

すると、ある女子が急に立ち上がり、バスの運転手に絡み始めた。どうやら、トイレが近いからここで止めてくれと言っているらしい。

 

バスの運転手は「いやだ、危ないからここでは降ろせない」、と断固拒否。

女子の怒りに火をつけた。

 

「ばかやろー!バスの運転手のくせに!」と女子はひたすら運転手をののしる。

「おろして」、「いやだ」、「おろしてってば」、「いやだ、いやだ。あっちいけ」

「おろせ!」「あっちいけ、あっちいけ!」と、堂々巡り。

挙句の果てに、「私は最近母親にFacebookでブロックされたけど、それでも、あんたなんかよりマシな人間なんだから!」と女子は叫ぶ。彼女の雄たけびが車内にワンワンと鳴り響いた。

 

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どうやら彼女は、小学校の先生を目指しているらしい。教師の資格を取るために、田舎からダブリンに引っ越してきたのだとか。アイルランドの未来が少し心配になったものの、どこか滑稽でもあり、目の前で笑いをこらえる見知らぬおじさんと視線を交わした。

 

「バスの運転手のくせに」という言葉が脳みその中でこだまする。

 

コロナ禍であれほどエッセンシャルワーカーのありがたみを知ったというのに、2020年に戻ってしまえバカ者よ、とその女子を𠮟りたい衝動をぐっと抑える。

 

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何かを必死に追いかけるあまり、大切なものを見失っていないか。必要以上に、盲目になっていないか。

そんなシンプルなテーマがひっそりと潜む戯曲。

この不思議かつ滑稽な光景を見ながら、戯曲の核のようなものがストンと心に落ちて、

作品に動かされて、言葉をほどきはじめたあの時からずっと描いていた大きな円が

完結したのだった。

 

紆余曲折あったが、無事に初日を迎えることができた。

是非、劇場で、あるいは配信で目撃してください。

 

「Plays 4 Covid 孤読/臨読~コロナ禍で生まれた海外戯曲~」

コロナ禍に4つの国で上演・配信された短編戯曲集。全作品本邦初公開!

2021年9月16日(木)~19日(日)

シアターグリーン Base Theater(池袋演劇祭参加)

「橋の上のワルツ」(ソニア・ケリー作)

https://iti-japan.or.jp/info/7650/

 

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A Story to Tell

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以前、ナレーションの仕事をしていたとき、プロデューサーの方が、敢えてナレーターという言葉を避け、「ボイス・アーティスト」とおっしゃっていた。

 

なるほど、肩書を変えるだけで、ずいぶんと印象が変わるものだ。

 

北愛蘭のベルファストへ行ってきた。

コロナが長引いて、長らく行くのを躊躇していたのだが、

北愛蘭紛争を描いた戯曲のリサーチも兼ね、どうしても自分の目で見ておきたいものがあった。一見は百聞に如かず。結果、行って本当によかったと思っている。

北愛蘭紛争のウォーキングツアーに参加したのだが、そのツアーガイドさんが、ツアーガイドと呼びたくないほどの役者ぶりで、まさにストーリーテラーという言葉がぴったりだった。

正直、期待などなく、観光業の一環だと舐めていたところがあったのだが、予想を超える、有意義な二時間半だった。

北愛蘭紛争は、宗教の対立とみられがちだが、実際は、国家アイデンティティーをめぐる争いだった。そこへカソリックプロテスタントの対立が加わり、火に油を注ぐように事態を悪化させたのだという。

ツアーガイドのマークさんは、たった一人で二時間半ぶっ続けで話し続けた。メモは一切見ず、死者数、けが人の数、事件が起きた年月と日付をすべて正確に記憶していた。

(私は必死にそれをメモしていた)

紛争や暴力について語る時、どうしても、片方の味方につきたくなるものだが、

最後まで中立を保ってらした。

かといって、人ごとのように話しているわけではない。

情熱は十二分にあり、とても私的な語り口であった。

私は、中道というものが一番難しいと思っているので、当事者として中立の立場で語れる方を心から尊敬する。

 

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ストーリーテラーは、悲しみが眠るすべての地に必然的に咲く花のような存在なのかもしれない。

物語の中の登場人物すべてを理解しつつも、完全に感情移入をしない。

常に中道のようなものを保ち、ことあるごとに、ススっと品よくその軸へ退く。

それができるのは、その背後に、物語よりも力強い、物語を伝える原動力のようなものが潜んでいるからなのかもしれない。

 

マークさんの心の底には、そういった力強い使命のようなものを感じたのだった。

彼の最後まで徹底して中立を保つ姿勢は、見事だった。

ツアーが終った途端、15名ほどいた参加者から自然に拍手が沸き起こった。

ツアーのチケットが売り切れたのは、実に18か月ぶりだという。

 

最後に、マークさんは、「さて、私はどっちでしょう?カソリックプロテスタント」と参加者に投げかけた。

ツアー参加者の多くが、彼のことをカソリックだと思っていた。

それはきっと、カソリック側が被った傷をしっかりと、自分のことのように伝えていたからかもしれない。

結果、彼はプロテスタントであった。

 

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近頃は特に、この中道を保つ重要性を、つくづくと感じる。

いつだって右へ、左へ、引き寄せられて、感情に乗っ取られては、はっと我に返る。

時には、流れるままに流れたいこともあるが、

今はマークさんのような、微動だにしない力強い軸に、ちょっとした憧れを抱く私なのであった。

 

家に戻ると、小鳥たちが我が家の庭で、ふんぞり返っていた。

 

最近は、庭に若い小鳥が目立つ。若い小鳥は、餌を口にした後、消化を待つように数分間ボーっとしている。

あどけないが、どこか大人の鳥よりも何か大きな秘密を知っているような、達観した余裕の顔つき。そんな彼らを見ながら、私はいつどこで、その秘密を落としてきたのだろう、とふと考えるのであった。

 

 

 

「Plays 4 Covid 孤読/臨読~コロナ禍で生まれた海外戯曲~」

コロナ禍に4つの国で上演・配信された短編戯曲集。全作品日本初公開!

2021年9月16日(木)~19日(日)

シアターグリーン Base Theater(池袋演劇祭参加)

「橋の上のワルツ」(ソニア・ケリー作)

https://iti-japan.or.jp/info/7650/

 

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夏の香り

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ウェストポートの橋

夏の香りが漂った。

夏でも涼しいアイルランド夏の香りがするのは珍しいのだが、最近は暑い日が続いた。その香りは、いつも夕暮れ時に漂う。ギラつくような熱を帯びた香りというよりは、日中の暑さが残していった「忘れもの」のような香りだ。その時間帯になるとなんとも名残惜しくて、相方に夕食の皿洗いを託し、お庭の椅子に座ってボーっとするのが日課になっている。

またすぐに秋の哀しげな空気がやってくる。今のうちに、この香りを楽しんでいたい。

セミが騒がしく鳴く、日本の夏が懐かしい。

 

我が家の庭では、毎日蜂がせわしなく豆の花を次々に回り、

モンシロチョウがハタハタと舞いながらケールを誘惑する。

 

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先日、庭の鉢植えを動かすと、下から立派なミミズがウニウニと這いでてきた。そのまま素手で掴み、コンポストの中に戻したのだが、それを見ていた相方が、目を丸くして、「もしかして今、素手でミミズをつかんだ……?」と聞いてきたので、「そうだよ」と答えると、興奮気味に、「見直した!すごいじゃないか!」と言う。ふだん滅多に褒めない相方が、ミミズを素手で掴んだだけで私を大絶賛し、感激している。何を基準に人を評価しているのかよくわからないが、褒められて悪い気はしない。

考えてみれば、算数の成績が良かったからではなく、徒競走で一等賞をとったからではなく、ミミズを素手で掴んだからといって生徒を褒める先生がいてもいいかもしれない。なんたって、これからの時代、自然をもっと大切にしていかなければならない。

 

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先日、メイヨー県にあるウェストポートという街へ行ってきた。かつて鉄道が走っていた線路が自転車用の道になっていて、何十キロにもおよぶサイクリングトレイルが用意されている。湿地が広がる大自然のど真ん中で自転車をこいでいると、すべての心配事が吹っ飛んだ。ちょうど、しつこい空咳が続いていたのだが(数年前から続いている、突然襲うもの)、自転車をこぎながらおのずと無の状態になって、スーッと咳が引いていくのを感じた。

 

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70キロ以上のトレイルを、2日間にわたって走った。足はパンパンで、レンタルの安い自転車だったのもあり、上り坂は特にやられた。「ああ、もうダメかもしれない」を通り越した後の爽快感。走り切った後に浴びるシャワーの気持ちよさ。

 

それは最近とある企画で体験した、ピンチを乗り越えた後のすがすがしさにとても似ていた。

かつて恩師が「ピンチはチャンス」と言っていたのを思い出す。

ありふれたオルゴールのように聞き流していた言葉だが、なるほど、こういう意味だったのかと、一見ポップに聞こえる言葉の持つ深い意味が、体に落ちた瞬間であった。

自分で一度も引き出したことのない力が湧いてきて、私の身体に自信となって刻まれた。

 

とりあえず一つのピンチを乗り越えて、翻訳させていただいた戯曲が9月にリーディング上演される。ソニア・ケリーさんというアイルランドの旬の劇作家による作品だ。アイルランドストーリーテリングの手法を生かしつつ、観る者の五感を刺激し、詩的な言葉がリズムよく連なる。

あっという間に引き込まれる疾走感のある素敵な作品だ。

いつの間にか、勝つこと、認められることに夢中になってしまった現代人に捧げる寓話のような短編戯曲。ぜひともチェックしていただきたい。

 

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「Plays 4 Covid 孤読/臨読~コロナ禍で生まれた海外戯曲~」

コロナ禍に4つの国で上演・配信された短編戯曲集。全作品本邦初公開!

8月16日チケット販売開始。

2021年9月16日(木)~19日(日)

シアターグリーン Base Theater(池袋演劇祭参加)

「橋の上のワルツ」(ソニア・ケリー作)

https://iti-japan.or.jp/info/7650/

 

 

8月6,7日 Ova9 生演奏と語りで贈るクローゼットドラマ「Necessary Targets ~ボスニアに咲く花~」 

渋谷Space EDGE

https://www.facebook.com/Ova9actress

 

 

ワールド・シアター・ラボ 「サイプラス・アヴェニュー」(デビッド・アイルランド作)

2月の公演に先駆けて9月に開催される戯曲解読ワークショップの参加者募集中。

海外の現代戯曲翻訳を探求する「ワールド・シアター・ラボ」開催(2021年9月〜) | iti-japan

 

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魔女が舞い降りる

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先日、我が家に魔女が舞い降りた。

 

近所に、私の相方がよく知る女優さんが住んでいる。ベテランの舞台女優である彼女は、はち切れんばかりのエネルギーの持ち主で、道端で会うと、瞬く間に「近況報告」という名の舞台がはじまる。はじまれば、終わるまで1時間はかかるので、覚悟しなければならない。話を面白おかしく伝えるのがとても上手で、私はいつも、道の端から端まで体をめいっぱい動かしながら昔話や息子のエピソードなどを語る彼女を見て爆笑している。

 

そんなある日、彼女からカードが届いた。自分で描いた絵をカードにし、ひっそりと人の家の郵便箱に入れるのが趣味らしい。怪しまれることも多々あるそうだが、今やライフワークになっているのだとか。

 

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彼女が描く絵には、いつも魔女が入っている。「日本の魔女」というキャプションつきの私の魔女は、黒く長い髪の毛が後ろで一つに束ねられている。私をイメージしてくれたのかもしれない。

 

アイルランドでも、幸せが見つかりますように」

 

いつもの爆発的なエネルギーとはかけ離れた繊細なメッセージに少し驚いたものの、その時、彼女が役者であるという事実がストンと腑に落ちた。ちょっとしたトラブルに見舞われた日だったのだが、彼女の描いた日本の魔女を見ながら、思わず笑みがこぼれた。さらに「魔法が欲しいなら、光に当ててみてください」、とある。言われた通りに光に当てると、魔女のドレスにちりばめられたラメがキラキラと輝いた。

 

自分の中にある大きな溝の間を行ったり来たりするように、絵を描いたり、物語を伝えたりしている彼女が、とてもいとおしく思えた。そういう溝は、表現者としての身分証明書であると私は思っている。

 

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一昨日は、アイルランド南部の町コークにある劇団が主宰するマリーナ・カー脚色、ヴァージニア・ウルフ作「灯台へ」の舞台版が配信された。冒頭文、「Yes, of course, if it’s fine tommorrow. (そうね、明日晴れたら)」が劇中で不気味に鳴り響く。ダロウェイ夫人の「Mrs.Dalloway said she would buy the flowers herself. (私が花を買ってくるわ、とダロウェイ夫人は言った)」をふくめ、ヴァージニア・ウルフは無駄の一切を剥いだ印象的なセリフを生み出す天才だと思う。役者は、実際は口にしていない心の混乱もセリフとして語る。潜在意識を刺激するような、素敵な作品だった。

 

数年前、夢の中で遠くから美しい音が聞こえてきたことがある。目を凝らさないと見えないほどか細く繊細な音なのだが、自分の心が確実に、その音へ向かうのを感じた不思議な夢であった。ヴァージニア・ウルフの言葉は、私がこの夢の中で聞いた音の響きにとてもよく似ている。

 

実にあわただしい6月だった。いくつかの戯曲と向き合い、不慣れなこともやりながら、あっという間に過ぎていった。

すべてうまくいくことを祈りながら、

日本の魔女を再び、太陽に当ててみる。

 

<今後の予定> 8月6,7日 Ova9 クローゼットドラマ「Necessary Targets ~ボスニアに咲く花~」 渋谷Space EDGE

ボスニア内戦を生き抜いた女性たちと米国人女性との間に芽生える絆を詩的に描く物語。

https://www.facebook.com/Ova9actress

 

ITI 国際演劇協会主催 ワールド・シアター・ラボ 「サイプラス・アヴェニュー」

北アイルランドの複雑な背景をブラックユーモアをふんだんに交えて描いた話題作。

海外の現代戯曲翻訳を探求する「ワールド・シアター・ラボ」開催(2021年9月〜) | iti-japan

 

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バスルームより愛をこめて

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家は、夜にその魅力を発揮するらしい。

 

先日、月を見上げるために庭へ出たあと家の中に入ると、ダイニングテーブルに置かれたランプの光が顔に当たり、新聞を読む相方の姿が見えて、何とも言えない安堵感をおぼえた。

 

こちらへ来て「家」の概念が大きく変わったように思う。

こちらでは、東京で生活していた頃のように、酔っ払ってひとり夜道を歩くなんてことが一切できない。ナイフを持ったギャングが町中うろついるので、恐ろしくてそんなことができない。ダブリンは一歩町の中心から外れると、驚くほど人通りが少なく、静かだ。

 

外を出歩くときに緊張しているからか、家の中に一歩踏み入れた時の安心感が半端ないのである。近くのスーパーやコンビニでさえ自分の庭のように感じていた東京とは全く違う。

 

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わが家は築100年というのもあり、あちこちにガタがきている。そろそろバスルームを改装しようと、タイルやら鏡やらを買い込んでいたのだが、肝心な配管工がつかまらない。「明日行く」と言ってから何日も来ない……という状況を何度も繰り返し経験し、さらにロックダウンで家の工事が禁止となり、タイルを買ってから半年以上待ってようやく念願のバスルーム工事がはじまった。

 

すべてを任せず、壁のペンキ塗りなどは自分たちでやることにした。

 

お世話になった大工さんは、ポーランド人の移民。娘をひとりで育てていて、いろいろと苦労をなさっている。天気の話をすると、「ポーランドでは今雨が降っているよ」といった答えがかえってくるので、頭の中は常に故郷のことでいっぱいなのかもしれない。ただ、生まれ持った滑稽さがあり、たまにコロナ禍を嘆き、「ひどい世の中だぜ……」と首を振っていても、あまり悲壮感がない。決して馬鹿にしているわけではなく、私はこういう人はいつも得だなと思う。本人は真剣なのだろうが、傍から見ると、なんかおかしい。私の相方もそういうところがあるのだが、素敵な才能だと私は思っている。

 

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おおまか無事に工事は終わったものの、壊れたドアも直さなければならない。だが、大工さんは、「暇になったらまた来るよ」とだけ言い捨てて、そそくさと去っていった。

 

いつもこのような調子なので、いずれ帰ってくるのだろうが、一体いつになるのだろう。このアバウトさも、徐々に慣れてきたようだ。

こうやって実際に自分の身体を使って改装過程に携わっていると、妙に家に愛着がわいてくる。バスルームで何をするにも、生まれたての赤子に触れるような気分だ。

 

昔から水回りの掃除をするとよいことがあると言われているが、バスルームがきれいだと本当に気持ちがよく、朝も清々しい。

 

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そんなこんなで工事、鳥、翻訳、読書に夢中になっていると、ある日、はける靴下がないことに気付き、慌ててネットで靴下を購入する。野原や公園や海辺を歩きすぎたのか、すべての靴下に穴があいていた。二年以上切っていない髪の毛は、もはや何かが宿っていそうな勢いである。

 

結婚式に甥っ子から「けっこんしたから、おうちあげるー」と「おうち」の絵を貰ってから約1年。

徐々に、徐々に、「おうち」ができつつある。

 

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ダブリンは、都会であっても自然がまわりにあるのが良いところなのだが、ちょっと草むらや木の集中したところへ入っていくと、たまにホームレスがテントを張っていることがある。先日は、アイリッシュタウンの海辺を歩いていると、チェコスロバキア出身だというホームレスさんがどこからともなく現れ、声をかけてきた。

 

「ジャパニーズ!ホッカイドー!オオサカ!」

 

どうやら昔日本を旅したことがあるらしい。

「礼儀正しい国だよね。いい国」と日本のお辞儀を真似してか、深々と頭を下げた。

 

海外から見る日本のすがたは、日本にいる時に見た日本のすがたと少しばかり違う。

最近は、オリンピックを目前に複雑な思いが渦巻く。

彼のほめ言葉に返した自分の笑みが、少しばかり歪んだ。

 

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