家は、夜にその魅力を発揮するらしい。
先日、月を見上げるために庭へ出たあと家の中に入ると、ダイニングテーブルに置かれたランプの光が顔に当たり、新聞を読む相方の姿が見えて、何とも言えない安堵感をおぼえた。
こちらへ来て「家」の概念が大きく変わったように思う。
こちらでは、東京で生活していた頃のように、酔っ払ってひとり夜道を歩くなんてことが一切できない。ナイフを持ったギャングが町中うろついるので、恐ろしくてそんなことができない。ダブリンは一歩町の中心から外れると、驚くほど人通りが少なく、静かだ。
外を出歩くときに緊張しているからか、家の中に一歩踏み入れた時の安心感が半端ないのである。近くのスーパーやコンビニでさえ自分の庭のように感じていた東京とは全く違う。
わが家は築100年というのもあり、あちこちにガタがきている。そろそろバスルームを改装しようと、タイルやら鏡やらを買い込んでいたのだが、肝心な配管工がつかまらない。「明日行く」と言ってから何日も来ない……という状況を何度も繰り返し経験し、さらにロックダウンで家の工事が禁止となり、タイルを買ってから半年以上待ってようやく念願のバスルーム工事がはじまった。
すべてを任せず、壁のペンキ塗りなどは自分たちでやることにした。
お世話になった大工さんは、ポーランド人の移民。娘をひとりで育てていて、いろいろと苦労をなさっている。天気の話をすると、「ポーランドでは今雨が降っているよ」といった答えがかえってくるので、頭の中は常に故郷のことでいっぱいなのかもしれない。ただ、生まれ持った滑稽さがあり、たまにコロナ禍を嘆き、「ひどい世の中だぜ……」と首を振っていても、あまり悲壮感がない。決して馬鹿にしているわけではなく、私はこういう人はいつも得だなと思う。本人は真剣なのだろうが、傍から見ると、なんかおかしい。私の相方もそういうところがあるのだが、素敵な才能だと私は思っている。
おおまか無事に工事は終わったものの、壊れたドアも直さなければならない。だが、大工さんは、「暇になったらまた来るよ」とだけ言い捨てて、そそくさと去っていった。
いつもこのような調子なので、いずれ帰ってくるのだろうが、一体いつになるのだろう。このアバウトさも、徐々に慣れてきたようだ。
こうやって実際に自分の身体を使って改装過程に携わっていると、妙に家に愛着がわいてくる。バスルームで何をするにも、生まれたての赤子に触れるような気分だ。
昔から水回りの掃除をするとよいことがあると言われているが、バスルームがきれいだと本当に気持ちがよく、朝も清々しい。
そんなこんなで工事、鳥、翻訳、読書に夢中になっていると、ある日、はける靴下がないことに気付き、慌ててネットで靴下を購入する。野原や公園や海辺を歩きすぎたのか、すべての靴下に穴があいていた。二年以上切っていない髪の毛は、もはや何かが宿っていそうな勢いである。
結婚式に甥っ子から「けっこんしたから、おうちあげるー」と「おうち」の絵を貰ってから約1年。
徐々に、徐々に、「おうち」ができつつある。
ダブリンは、都会であっても自然がまわりにあるのが良いところなのだが、ちょっと草むらや木の集中したところへ入っていくと、たまにホームレスがテントを張っていることがある。先日は、アイリッシュタウンの海辺を歩いていると、チェコスロバキア出身だというホームレスさんがどこからともなく現れ、声をかけてきた。
「ジャパニーズ!ホッカイドー!オオサカ!」
どうやら昔日本を旅したことがあるらしい。
「礼儀正しい国だよね。いい国」と日本のお辞儀を真似してか、深々と頭を下げた。
海外から見る日本のすがたは、日本にいる時に見た日本のすがたと少しばかり違う。
最近は、オリンピックを目前に複雑な思いが渦巻く。
彼のほめ言葉に返した自分の笑みが、少しばかり歪んだ。
Unauthorized copying of images strictly prohibited.