maimaiomaiのブログ

アイルランドと日本の狭間で 言葉を解き、紡ぎなおす者として

私の空き部屋

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人は誰もが空き部屋を抱えているらしい。

 

外部からの刺激がなければ、埃をかぶったまま永遠に空き部屋として放置されるのだろうが、アイルランドの文化は、私の埃まみれになっていた空き部屋を、次から次へと開拓していく。

 

第一回ロックダウンから1年が過ぎ、まだネット配信ではあるが、新しい演劇作品が続々と発表されている。そしてその多くが良作で、配信がやや苦手であった私でさえもパソコンの画面に張りついてしまうほどなのだ。

 

先日は、アイルランドの詩人イヴァン・ボーランドをフィーチャーした作品が発表された。

 

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「子供を寝付かせ、カーテンを閉めると、言葉が私を待っていてくれた」

 

正確ではないが、劇中にこんな一節があった。

イヴァン・ボーランドは、子育てや主婦の日常を詩にした人。当時、そういった内容を詩にする詩人は珍しかった。夜中に起きて娘にミルクをあげる様子を描いた「Night Feed」はアイルランドで有名な詩のひとつ。朝日が昇る前の、娘との二人きりの静かなひとときが、二人を包み込む何気ない自然の風景と共に、ふわりと浮き上がる。

 

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アイルランドは、詩人が多い。私の相方にも詩人の友人が数人いる。大統領でさえも詩人。詩が日常にしみこんでいる。日本では何か崇高で手が届かないもののように思えていた詩が、すっと手を伸ばせば触れられるものに変わった。

だからといって、それが「低俗」であるとか、「カジュアル」ということではない。禁じられていたものが許されるような、そんな雰囲気がこの国にはあるように思えてならない。

 

そして、それはまたもや、私の空き部屋の扉をやさしく叩くのであった。

 

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アイルランドには、かつてKeening Womanという女性たちがいた。お葬式で哀しみを表現することを仕事とする女性たちのことである。韓国の「泣き女」のようなものらしい。ある調べ物をしていた際に彼女たちの実際の声を聞いたのだが、今まで聞いたことがないような「音」に思わず鳥肌が立った。歌とも声ともいえない、悲鳴のような音だった。

 

鳥肌が立ったというのは、決して感動したという意味ではない。むしろ耳をふさぎたくなるような不快な音だった。絶対音感のある人によれば、このKeening Womanの放つ声は、微妙に音が外れているという。私にはそんな音楽的才能はないが、とても居心地の悪い音だと感じた。

 

彼女たちは、かつてプロの泣き屋として葬式に呼ばれ、即興的に声で「哀しみ」を表現した。私が喪に服す側だったらもっと心地いい音を聞きたいものだが、もしかすると、昔の人は、こういった心の闇さえも受け入れられるほどの器があったのかもしれない。

 

その不快な音は、普段蓋をしている自分の汚い部屋に蛍光灯の光を照らすかのようだった。

 

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最近、相方から一日に一語、アイルランド語の言葉を教えてもらっている。

渡愛してから習い始めたアイルランドの伝統の踊り、シャンノースのステップは、慣れ親しんできた米国産のタップダンスとはカウントの取り方が異なり、使ったことのない感覚や脳みそを使っている。

 

戸惑いながら、迷う足を前に出しながら、空き部屋が徐々に開拓されていく。

埃は取り払われ、照明がついて、普段は手を出さないような模様の壁紙が貼られ、見たことのない素材でできた家具で埋められていく。

 

私がアイルランドに来たのは、この放置された部屋に新たな住人を入れたくて仕方がなかったからなのかもしれないと、最近つくづく思うのである。

 

散文を交えてイヴァン・ボーランドの詩をフィーチャーしたその舞台作品は、どうやら演劇作品としては認識されず、批評も出なかったが、私はとても好きな作品だった。好きを知ることは、嬉しいこと。

 

※追記:だいぶ遅れて批評が出て、賛否両論でした。

 

 

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和して同ぜず

 

ある日、「最近、近所にインコが出没しているらしいのよ」と近所のおばさまが言った。

 

目撃情報を耳にするようになったのは、今年に入ってから。

以来SNS上で野生のインコの写真が出回るようになった。

 

最近、ほぼ毎日小鳥さんたちの観察をしているのだが、一日でも休むと心がざわつく。ある記事によると、鳥の鳴き声と川の音には、癒しの効果があるらしい。公園へ行くと、自然と足が川の音や鳥の音へ向かうので、とても納得だ。

 

 

そんなある日、木の中でガサガサと何かが動いているのに気が付き、カメラを構えてレンズをのぞき込むと、やたら鮮やかな黄緑色をしたインコが映りこんだのであった。 

「インコだ!」と私は思わず相方に向かって叫んだ。

 

 

インコは、もともとアフリカ大陸やアジア圏に生息していたらしいが、順応性が高いこともあり、今や世界各地で繁殖しているのだとか。

 

ダブリンに生息する多様な小鳥たちは、お互いにうまい具合に譲り合って生息しているのが分かる。鳴き声も、個々に独特でありながらぶつかり合うことなく、美しいハーモニーを奏でている。和して同ぜず、とはまさにこういうこと、と私は感動していた。

 

しかし、その中に響き渡るインコの甲高い鳴き声は違和感があった。

まるでクラッシック音楽の中にバリ島の激しい音楽が紛れこんでしまったような不協和音なのだ。インコが鳴きだすと、周りの小鳥たちは見事に黙ってしまう。そして、インコが静かになると、ほっとしたように、恐る恐る小鳥たちは再び鳴き始めるのであった。

 

 

やはり、外来種なのだろう。そんなインコたちを、移民である自分と照らし合わせながら、「いつか調和する日が来るのだろうか」と、少々複雑な気分で観察していた。他の鳥たちとは相性が悪そうだが、いつも仲がよさそうにカップルで行動しているのは良いことだ。やがて、他の鳥の邪魔にならないよう、大きな木の上の方に巣作りを始めた。

 

インコがガンガン鳴いていても、珍しい鳥たちがピーチクパーチク言っていても、ほとんどの人は気が付かない。だが、たまに私たち夫婦のように、ボーっと木の上を見上げながら彷徨う怪しげな人を見かけることがある。

 

 

「あの人もインコ目当てかな?」

「(相方)そうに違いない」

 

私と相方は、その人にジワジワと近づき、

 

「インコですか?」と声をかけてみると、「ああ、そうです、そうです。お宅もですか?」、「ええ、そうです、そうです」と会話が弾む。類は友を呼ぶ。そして、鳥好きには、良い人が多いらしい。いかに鳥が面白いかを熱く語り合った後、「じゃあ、インコ追いかけなきゃならないんで」とその人は去っていく。

 

鳥は姿をはっきりと見せてくれないので、ついつい追いかけたくなってしまう。「不思議の国のアリス」の白いうさぎのように、追いかけているうちにどこか穴の中に入ってしまいそうで、たまにフラフラと鳥を追いかけながらハッと我に返ることがある。

 

  

アイルランドで語り継がれる妖精は「境界線」にとても敏感で、たいてい超えてはならない「境界線」を越えてしまった時に現れると言われている。無防備で好奇心の旺盛な子供が、ふらりふらりと境界線を越えて「穴」の中にすっぽりと入り込んでしまった時に現れるのだそうだ。私も鳥たちにつられて妖精たちと鉢合わせないように気を付けなければならない。

 

去年のロックダウンが始まった頃は、鳥の鳴き声には耳を傾けていたものの、ここまで鳥を細かく観察したり、写真を撮ったりはしていなかった。規制が今後も続いて、私のオタク気質が加速し、さらに小さな世界に入り込んで、今度は虫の撮影をしていそうで怖い。あるいは、小さいどころか妖精などの「目に見えない世界」にまで手をだしてしまいそう。

 

 

ヨーロッパコマドリが藁のようなものを咥えて、「忙しいアピール」をして私の前を通り過ぎる。どの鳥も、巣作りに励んでいるらしい。私だって家のペンキ塗りに忙しいのよ、という具合に見返すと、そそくさと巣作りの場所へ飛んで行った。

 

鳥の世界に没頭していると、人間の世界が少々刺激的に思えて、たまにどこから声を出せばいいのか分からなくなる自分に驚くことがある。もうそろそろロックダウンも終わるので、人間の世界に戻る準備を整えなければならない。

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「孤」であるということ

 

リサ・オニールという歌手がいる。

 

ラジオから彼女の歌が流れれば、一瞬で耳が反応する。伝統の歌や自身のオリジナル曲を歌うことが多いが、あのトム・ウェイツの曲でさえも、たちまち自分のものに塗り替えてしまうほどの独特の個性の持ち主なのだ。私はこういう独自の世界観を持った女性が好きである。世間に流されず、ある程度の「孤」を耐えてきた形跡がうかがえるからなのかもしれない。

 

 

リサ・オニールは「Song of Granite」というアイルランド映画にも出演している。コネマラ出身の実在のシャンノース歌手ジョー・ヒーニーの生涯を、役者の演技、コネマラの田舎の美しい映像や実際のヒーニーの映像を交えて描いた白黒のドキュメンタリー・ドラマだ。

 

アイルランドの田舎からスコットランドへ移住し、さらには妻子を捨て、米国に渡った孤高の歌手を淡々と描く。アイルランドの地に密接につながった歌を、ニューヨークの大都会でドアマンとして働きながら歌い続けるというジレンマ。米国で求められる実体のない商業的な「アイルランドらしさ」。どこにも属しきれない孤独が、映像の隅っこに終始、静かに流れ続けた。

 

 

人の孤独を、同情を一切排除し、ただ淡々と客観的に描いた映画が好きである。孤独はネガティブなものに受け取られがちであるが、私はいつもこういう映画を故郷に帰るような気持ちで見ている。人間はみなひとりであるという単純なメッセージが、人間賛歌のように心地よく鳴り響くからかもしれない。

 

 

 

コロナ禍で人と接するありがたさを実感したとよく言うが(もちろんそれはそうなのだが)、私は個であること、「孤」であることの大切さを改めて学び、逆に世界が広がったように思う。

 

コロナ禍に、鳥の世界に夢中である。小柄なミソサザイは、猫に立ち向かうほど強気な鳥。身体が小さいのに、歌声は力強く耳に突き刺さる。そんな性格は、民話でも言い伝えられている。ミソサザイは「鳥の王様」と言われているのだが、鳥たちの間で「誰が一番空を高く飛べるか大会」が行われた際、ミソサザイは鷲の羽の中に隠れ、あと少しでゴールというところで羽から飛び出し、無理やり一位を獲得したという伝説がある。

 

 

そういうずる賢さも納得だ。歌う時は誰よりも大きな声で歌って人の注意を引くが、そうでないときは誰にもばれないように生垣の中を何食わぬ顔をして無言で移動する憎いやつなのだ。

 

「人生、こういうずる賢さも大事なのよ」、と説教されているようで、思わず笑いがこみあげてくる。

 

 

そんな民話を勝手に押し付けられて、鳥からしたら「名誉棄損」でしかないかもないが、代々語り継がれている民話には、それぞれの動物の個性が生き生きと反映されている。かつて、アイルランド人は「迷信や妖精を信じるおかしな人達」と言われ、このストーリーテリング(口頭伝承)の文化が政治的に利用されたこともあった。迷信によって理不尽な扱いを受けたことで民話や迷信を否定した時期もあった。一方で、この文化を守ろうと必死に語り継ぐ人たちもいる。

 

 

 

しかし民話は、動植物と私たち人間の架け橋を担ってくれているように感じられてならない。そんな物語を聞くだけで、一気に彼らとの距離がぎゅぎゅっと縮まるように思うからだ。ただ科学的事実を知るよりも趣がある。

 

民話は、かつて「孤」をしっかりと受け入れて生きていた人間の良い「お供」だったのではないかと想像する。

 

ロックダウンが始まって以来、在宅の仕事しかしておらず、相方や近所の方以外、人と対面することがない。そんな中、仕事相手との、仕事とは関係のない、なんでもないやり取りに癒されることがある。

 

「日本ではやっと桜が咲きました」

 

人間らしさがふとこぼれた時に、ぎゅっと距離が縮まるらしい。

人と対面しないからこそ、そういう隙間は空けておきたい。

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妖精に連れ去られた女

 

Hidden in plain sightという言葉がある。

「ありふれた風景の中に溶け込んでいる」という意味だ。

 

アイルランドに生育する小鳥たちは、まさにこの言葉がぴったりである。

あまりにも自然に風景に溶け込んでいるので、神経を研ぎ澄ませなければ見逃してしまうし、聞き逃してしまう。

 

ヨーロッパコマドリは、孤高の俳人のように優雅に生垣の中で歌う。

群れるのが好きなゴシキヒワはおしゃべり好きな掃除婦のよう。

アオガラは、子笛のように甲高い声で歌い、

ズアオアトリは、高らかに歌った後に痰が絡むようなオッサンのような音を出す。

マウスのように小さいミソサザイは、見かけによらず築地のマグロ競りのような鋭い鳴き声を披露する。

 

 

コマドリの歌声が聞こえてくると、その歌声を追いかけるのだが、最初はなかなか見つからない。

 

だが歌声につられて長い間ふらふら彷徨っていると、楽しそうに歌うコマドリの姿が突然パッと目の前に現れる。

 

小鳥たちの世界は、踏み入れるまで、というより、目が慣れるまで少しばかり時間がかかる。

しかし、一度踏み入れると、一気に世界が広がって、あちこちから小鳥たちが視界に飛び込んでくるのである。

これは、今まで体験したことのない、アイルランドに来て初めて体験した感覚だ。

 

 

こちらで妖精の物語が盛んであるのも納得できる。

 

アイルランドには、人間と自然の境目に位置するような、不思議な空間がそこらじゅうに漂っているように感じる。

 

アイルランドには妖精にまつわる物語が沢山あるのだが、一つ興味深い伝説がある。

 

 

19世紀末、アイルランドのティパレアリーに、ブリジット・クレアリーという女性がいた。

当時、手に負えない女性は、妖精によって身代わり(チェンジリング)に差し替えられたのではないかと噂された。

ブリジット・クレアリーは、歯に衣を着せぬタイプの女性だった。

しかも、夫との間になかなか子供を授からなかったので、

やがてブリジットに関するよからぬ噂が村中に広まるようになっていった。

そんな中、ブリジットは気管支炎を患い、何日間も寝込み、食事も拒み、

あまりの辛さに短気になり、人格までも変わってしまった。

不思議に思った夫は、やはり自分の妻は生まれた頃に妖精に誘拐されたに違いないと確信し、迷信通りブリジットを暖炉の火であぶった。

そうすれば、「本物のブリジット」が戻ってくると心から信じたのである。

夫は「妖精の砦」で「本物のブリジット」が灰色の馬に乗って戻ってくるのを待ったが、何日待ってもブリジットが戻ってくることはなく、結局夫は逮捕された、という話である。

 

 

ブリジットは、今でいう「わきまえない」女だったのかもしれない。

 

私は、二歳の時に、カリフォルニアのショッピングモールで一瞬だけ行方不明になったことがある。

母がお会計しながらちょっと目を離した隙に、私は乳母車から姿を消した。

結局、無事に見つかったのだが、

私は今でもたまに、あの空白の12時間、一体何をしていたのだろうと考えることがある。

 

もしかしたら、妖精たちに連れ去られそうになったのかもしれない。

「こいつは、わきまえない女になりそうだ、連れ去ってしまおう、うっへっへ」などと妖精たちの間で噂されていたかもしれない。

 

 

もちろん、そんなことは冗談なのだが、

私は自然界と人間界の間にある不思議な「空間」の中で小鳥のさえずりに耳を傾けながら、妖精の原点のようなものを想像していた。

 

周りを行き来する人達は会話に夢中で、鳥たちの存在に全く気付いていない。

 

まるで、鳥の世界に夢中になっている私と相方が「あちら」の世界にすっぽりと入り込んでしまったような感覚に陥ることが多々ある。

 

アイルランドでは最近、かつて未婚の母が収容されていた母子施設で起こった虐待や、母子への非道な扱いが問題になっている。

手に負えないとは、わきまえない、とはどういう意味だろう。

 

気を抜くと、ついつい余計なことを口走ってしまう私は、たまにこうやって自然界と人間界のはざまに逃れて鳥たちの声に耳を傾ける。

 

すると、妙に落ち着くようなところがあるのだ。

 

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惜しみなく歩け

 

21日の聖ブリジットの日は春の到来を意味するが、

実際に春の気配を感じたのは、216日の今日であった。

決して花がいっせいに咲き始めたわけではない。心が浮立つような軽やかな空気が鼻をかすめたとき、おのずと予感が確信に変わったのである。

 

1年間閉鎖し続けた劇場もようやく動き出した。

作品の上演発表ではなく、「創作発表」が続々と行われた。

どの劇場も有名無名問わず、主に作家やアイディアを募集し、作品を「創作」しはじめた。

大型の劇場も劇場の椅子や舞台を取っ払い、「ラボ」として使用するという。

巷でいう「風の時代」とはこのことか……と胸が躍った。

311の地震の時は、芸ごとをやっていることに罪悪感を覚えたような記憶があるが、

今回ばかりはさすがに、芸術の重要さを誰もが実感したのではないだろうか。

 

 

 

規制が緩和された時期もあったにせよ、さすがに1年もロックダウンが続くと、人はいろいろな「内なる扉」を開こうとするらしい。

 

去年の封鎖中は家具のペンキ塗りや家庭菜園に精を出していたが、太陽の光がなかなか当たらない冬の間はヨガとお絵描きに夢中だった。

「今」に集中し、ただ呼吸を繰り返すヨガはとてもいい。

はじめてから、多少将来への不安が薄れたような気がする。

 

なにせ、こちらにいると待つことが多い。

水漏れ一つとっても、配管工が捕まるまで1週間かかった。「明日行く」と言ってから音信不通になった配管工は、3週間後に予告なしに突然我が家のベルを鳴らした。

 

「水漏れ、解決した?」

 

理解に苦しむこともあるが、最近はこんなことがあっても、イライラが多少抑えられているような気がしている。これも、ヨガのおかげなのだろうか、それとも単に、こちらの文化に慣れてきたのだろうか。

 

 

近ごろ、社会にもまれたせいか、イライラすることが多くなっていたように思うが、もともとの自分の性質はそうでもなかった気もする。

 アイルランドに来て、もとの気質が戻りつつある気がしないでもない。

最初は文化の違いに憤るのだが、ふと立ち止まって考えたのち、「まぁ、誰かが死ぬわけじゃないし」と納得する。

人はこうやって違いを受け入れながら、心が広くなっていくのかもしれない。

 

先日テレビでナチス支配下ポーランドを描いた映画を観た。

ユダヤ人たちが身を隠していた地下室の壁に残された数々の絵を見て、いろいろと腑に落ちるものがあった。

絵ならどこにでも旅をすることができる。

白紙から予期せぬ光景が次々と生まれると、どこか心が満たされていく。

仕事は夕食前に済ませ、夕食後は黙々と絵を描くのが習慣になってきた。

 

 

 

つい最近まで寒い日が続き、真夜中は、窓の外でパラパラと雪が舞った。

ジェイムズ・ジョイスの「ダブリン市民」の中の短編「死者たち」も、こんな雪の降る夜のダブリンが舞台だった。

12年前までは、全く理解できなかったジェイムズ・ジョイスだが、久しぶりに我が家の大量の本が積み重なった本棚から引っ張り出し、ページをめくってみると、意外と言葉がすんなりと入ってくる。

 

「この短編って、一体何が言いたいんだろう?」

それでも、なかなか作品のテーマがつかめない私は相方に聞いてみた。

信じられない、と言わんばかりのあきれ顔で相方はこう言った。

 

「女の奥深さに手が届かない男の、もどかしさ。

誰よりも知識豊富な男が、妻の心にだけは触れられない。そのやりきれなさを描いているんじゃないの?」

 

 

そんな男心までは読み解けなかったが、

文化に浸透していく中で、この国の作品への理解も深まっていく気がしている。

冬の哀しげな太陽の光、ティーンたちの独特のヘアカット、くねったダブリン訛りの英語、ヨーロッパコマドリの鳴き声、夕暮れ時に漂う泥炭の香り、春に咲き乱れる水仙

そんな風景すべてが、言葉たちの裏に、実はひっそりと身を隠している。

 

あの配管工の不思議な言い訳が理解できるようになったころにはきっと、

あらゆるアイルランド作品を読み解けるようになるのかもしれない。

 

「こちら」に染まっていくということは、「あちら」から離れていくということなのだろうか。

そんな風に思うと、自分の身が引きちぎられるような思いが押し寄せてくるが、

歩くたびに自分のベールが新たな土地を覆っていくようなイメージを胸に、

惜しみなく歩き続けることなのかもしれない。

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傷は当たりまえのように

 

ヨーロッパコマドリがいつもとは違う歌を歌っている。

 

ヨーロッパコマドリは冬の間も歌い続ける稀な鳥である。

去年の春頃に見事な歌声を披露していたミソサザイはまだ静かだが、

我が家の庭の石垣を、マウスのようにちょろちょろと移動している。

そのうち、ヨーロッパコマドリから歌のバトンを渡されたらまた、

あの小さい身体でめいっぱい歌を歌い始めるのだろう。

 

 

公園の芝生には、ひそかに水仙がエッチラオッチラと背を伸ばしている。去年は、あの見事な白や黄色の花を咲かせてからしか存在に気付かなかった。

長い、長いロックダウンの間、じっくりと着実に進む時間を経験して、

物事の着眼点が変化したのかもしれない。

 

欧米の国の多くがそうなのかもしれないが、アイルランドでは、一部の大スターを覗いて、どの仕事でも俳優はオーディションを受けなければならない。そのオーディションも、ロックダウン中は、俳優が自ら面接会場へ赴くのではなく、すべて「セルフテープ」(自宅で自分が演技しているところを撮影すること)に切り替わった。

 

そこで、私の出番である。

 

 

オーディションには必ず、ビデオカメラの真横で相手役の台詞を読む「リーダー(読む人、の意味)」がいる。

 

まだ東京にいた頃、何度かこの「リーダー」役を担ったことがあった。

 

単純に英語が話せたから声をかけていただいたのだと思うが、何十名という俳優さんを相手に、繊細に相手に反応しながら、相手の邪魔にならないように台詞を読む作業はひどく神経を使い、終わった後は毎回脳みそが完全に停止していたのを覚えている。

 

そういう経験もあって、なんとなくだが、そのやり方を知っていたし、

回を重ねるごとに、大体どういったことが俳優に求められるのかが分かるようになっていった。

ロックダウン中にあまりに相方のセルフテープの機会が増えたので、カメラに合わせて三脚まで買ってしまった(台本を片手に持っているので、読みながらカメラを構え続けるのは辛いため)。

 

もともと写真が好きなのもあり、

カメラ映りのいい相方を撮影するのはとても楽しいし、色んな台本が読めるのもいい。

それに、「こういう役だから、もっとこうしたらどうか、ああしたらどうか」と相方と話し合う時間も、有意義なのだ。

 

最終面接もZOOMで行われるため、相方が監督やキャスティングディレクターから指示を受けながらスクリーンの前で演じている間、私は画面に映らないように相方の表情を撮影しながら相手役の台詞を読み、その映像を、さらに先方にwetransfer経由で送らなければならない。結構大変な作業なので、一人暮らしの俳優はさぞかし大変だろうと思う。

 

 

改めて、俳優の無防備さを思う。

 

繊細な生き物なのに、わけもなく否定される。

もちろん、その分、見返りも大きい仕事なのだろうが、たまにその理不尽さに胸が痛むことがある。

身体が商売道具である俳優。時に自分の存在そのものが否定されているように思えて、私自身は辛すぎて続かなかったが、

気が付けばまた俳優のパートナーと共に、

その理不尽さに、その予想外なご褒美に、いちいち一喜一憂している。

 

知名度でもギャラの高さでもない、成功しているかしていないかでもない。「この役をこの人に演じさせたら右に出る者はいない」と言わしめる役に出会うことこそ、俳優の醍醐味だと私の恩師が言っていた。

そんなことを、ふと思い出す。

 

今でも翻訳を通して相方を通して演劇に触れているのは、やはり演劇が好きなのかもしれない。

 

春の気配を感じながら、新たな創造力が内に芽生える。

3月までレベル5のロックダウンは続く予定だ。

ミソサザイがヨーロッパコマドリからバトンを受け取って歌い始める頃には、私も何か外へ向けて表現できるように、がんばらなければならない。それに伴う傷は、当たり前のように、恐れずに。

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あともう少し、がんばろう。

 

クリスマスにチョコレートケーキを作った。

 

溶かしたチョコレートを生クリームにいっきに混ぜすぎたのか、生クリームが固まって、顔に塗る泥パックのようになってしまった。

 

それでもあきらめずに、クリームの上に板チョコを細かく削ったものを上にふんだんに散らして、なんとかごまかした。ケーキにろうそくを立て、相方と二人で手をつないで、来年が良い年になるよう願いを込めながら二人でろうそくをフーっと吹くと、

 

削ったチョコレートが、部屋中に飛び散った。

 

私は、チョコまみれのセーターを着たまま、掃除機で黙々とチョコレートの細かい破片を吸い取る。

相方が焼いたチキンや用意された夕食を背景に「ブイーン、ブイーン」と鳴り響く掃除機の音がなんともむなしく感じられた。ちょっと残念な感じであったが、私たち夫婦がいつもこんな風なので、今年もこんな風に二人で不器用ながら二人三脚で頑張っていくのだなぁと、今後の未来を、ケーキと言う名の水晶で見せてもらったような気がした。

 

 

少し前はこんな理想との間にズレがあると、何日も自己嫌悪に陥ったものだが、年と共にその「何日も」が一日、二日、とどんどん減っていき、最近は数時間ほどにとどまっている。

 

精一杯頑張って、この結果なのだからしょうがない。明日また頑張ろう、と思うようにしている。

 

それが良いかどうかは分からないのだが、健康に良いことだけは間違いない。それに、間違いなく健康は大事だ。以前に比べ、自律神経が崩れることが、めっきり減った。

 

それにしても、長年自分が追いかけ続けたあの「完璧」と言う名の虚像は一体どこから連れてきたのだろうかと、いまさらながら不思議に思う。

 

 

 

今年の冬は長い。

 

最近、目の前の通りに駐車している車の窓が割られる事件が多発した。こんなことは、今まで無かったという。スーパーの前で物乞いする人も、去年よりも増えたように感じられる。

 

クリスマスが終わってから、サンタさんからもらったのであろう新品のスクーターや乗り物に乗る子供たちをよく道端で見かけるようになったが、子供が子供をナイフで脅し、乗り物を盗む事件も起きた。

 

乗り物を奪った子供を責める気にもなれない。もし、私が彼のような境遇にいたら、同じことをしていたかもしれない。

この国で時折垣間見る「階級差」。この国では、当たり前のように寄付をするならわしが多くの人を救っているように思うが、そんな余裕もなくなってきたとすれば、規制が解除されたとしても、きっと長い道のりになるだろう。

 

 

クリスマスの日、公園をお散歩していると、見知らぬ可愛いおばさまが「メリークリスマス」と声をかけてきた。しばらく、さらに公園を先へ進むと、近所の3人坊やたちがお父さんと、どこかで集めてきたのであろう薪の束を抱えて歩いてくる。今夜、暖炉で燃やすという。おばさまの「メリークリスマス」を受け渡すように、3人坊やたちに「メリークリスマス」と言った。

 

かつて、「がんばろう」という言葉を使ってはならないというような風潮があったように思うが、最近は、ひたすら周りに「頑張ろうね」と言っているような気がする。

 

あともう少し、あともう少し。頑張ろう。もう少しだから、頑張ろう。 

 

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