maimaiomaiのブログ

アイルランドと日本の狭間で 言葉を解き、紡ぎなおす者として

美しさを愁いて

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「世の美しさを愁える

一瞬で過ぎ去る美しさよ」

 

カフェに座って珈琲をすすっていると、そばに座った中年の女性が突然、

パトリック・ピアースの詩を朗々と詠みはじめた。

現実と夢のはざまの細い空間を見つめるような少女のような瞳。真っ白な髪の毛をきれいにみつあみにして、額の上にきっちりと巻き付けている。

「私ね、詩人なの」

人目などまったく気にせず、その女性は次から次へと詩を詠んだ。一言一句、完璧に暗記している。詩が大好きな相方も、そこへおのずと加わった。

 

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翻訳させていただいたアイルランドの戯曲「橋の上のワルツ」(ソニア・ケリー作)の公演と配信が終った。大好きな作品だっただけに、とてもさみしい。今回は、創作の過程ひとつひとつにかかわらせていただいて、思い出深い作品となった。

詩心にあふれ、リズミカルで痛快な作品だった。ひとつの交響曲を訳しているようだった。

俳優が役を通して、何かを手放す瞬間を何度か見たことがある。出会うべく役が、役者の人生と呼応し合う。必ずしもそれを機に役者が突然有名になるということでは決してないのだが、役と俳優の人生が同じ軌道を周回する二つの衛星みたく無重力のダンスを舞って、それからゆっくりと離れていく。

そういう瞬間を今回は見た気がした。また、畑も質もまったく異なる三人の俳優たちが、深い懐と熱い情熱を兼ね備えた演出によって、一つのワルツになった。

日本は劇団によって俳優の質がとても異なるように思うのだが、国際演劇協会という中立的な土台があったからこそ、こういうことが実現できたのだと思う。個人的にこれが、とてもうれしかった。ゲール語指導をしてくれた相方にも感謝。

こちらで配信を見ながら、ところどころに響き渡るお客さんの笑い声に聞き入っては、生の舞台の楽しさを懐かしく思った。美しさを愁えるとはこういうことかと、最後の配信を惜しんだ。

 

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白髪の女性は、一通り詩を詠み、思う存分歌を歌ったあと、「もういかなきゃ」と言って急に立ち上がる。「あらあら、どのバスに乗るんだったかしらねぇ」と言いながらお店をあとにした。

 

現実と夢の間にひそむ詩的な空間に守られていて、そこから一歩も出たことがないような、妖精のような女性だった。

 

必死に追いかけて、ほしいものが手に入った経験があまりない。おかれたところに咲くほうが、性に合っているらしい。だから私の人生、すべてが後付け。

アイルランドに来たのは、まぎれもなく相方がきっかけなのだが、同時に、私はこのアイルランドの詩心に惹かれてここへやってきたのかもしれないと去っていくその女性の背中を見ながら思った。

 

「あんな風に生きられたら、幸せだろうな」と言うと、相方が、

「まだ早い、まだ早い。もうちょっとあとにしてくれ」と苦笑いをした。

 

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