maimaiomaiのブログ

アイルランドと日本の狭間で 言葉を解き、紡ぎなおす者として

サンタのいないクリスマス

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幼い頃、私にとってサンタは神だった。

 

サンタが来なければ私の人生は終わると心から信じていた。むかし、母が焼いたサンタ型のクッキーがたくさん乗った鉄板を床に落としてしまい、すべて割れてしまったとき、ソファーの後ろに隠れて絶望的になっていたのを思い出す。きっとサンタが見ているに違いない、よってサンタは来ない、私の人生はおしまいだ……と涙に暮れた。罰せられるのを覚悟で、恐る恐るソファーの裏から這い出ると、砕けたサンタのクッキーは生まれ変わっていた。砕けたクッキーのヘンテコな形を生かしながら、楽しそうにデコレーションする母と姉。

 

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ディケンズの『クリスマス・キャロル』には、サンタは登場しない。

 

私はアイルランドに来てから、サンタのいない「もうひとつのクリスマス」を目撃した。慈善団体の人たちが路上に立ち、足踏みをしながら、小銭が入ったバケツをジャラジャラと鳴らす。ホームレスの人たちに食事を配るブースでは、もくもくとスープの鍋から煙が立ち上り、夜になれば商店街はしんと静まり返る。そして、教会のミサに集まった人々は、静かに神父の話に耳を傾けながら目を伏せて祈るのである。

 

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ミサの途中で、「平和と共にあらんことを」(意味としては、「あなたの心が穏やかでありますように」といったところだろうか)と言い合って、見知らぬ人と握手をしなければならない。日本人にはなじみのない行為であり、スターウォーズの台詞「フォースと共にあらんことを」とどうしても被ってしまう。身体が一気に硬直して、「平和」を「フォース」と言わないように気をつけながら、ぎこちなく周りの人と握手を交わす。

 

崖の上から飛び降りるような気分であったが、ことが終ると、なんとも清々しい気分に包まれた。これがクリスマスというものか、と私は感動した。

 

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思えば、訳す戯曲と共に人生を歩んでいる。イヴ・エンスラーのボスニア内戦を描いた戯曲を訳した後、私の心は、生まれ故郷の米国から離れた。ソニア・ケリーの『橋の上のワルツ』の後は、どんな外力も巻き込みながら、人生を舞う術が身についたように思う。北アイルランド紛争を描いた『サイプラス・アヴェニュー』を訳しながら、米国から日本に帰国した当初、自分のアイデンティティーを保つために、日本の文化をひたすら拒絶し、ノーと言い続けたかつての自分を理解した。

 

そして先日、今回翻訳させていただいた『クリスマス・キャロル』の根底に流れるものに触れた。知らぬ間に一センチ、二センチと上がっていた肩が一センチ、二センチと下がり、一つ、二つ、と増え続けていた眉間のしわが、すっと消えた。

 

家の本棚に、○十年前に、夫が親戚から贈られた本『クリスマス・キャロル』が埃をかぶって眠っていた。一九五九年、と書かれている。表紙はボロボロで、紙も黄ばんでいる。表紙をめくると、あどけない字で書かれた夫の名前。よほど好きだったのか、誰にも渡したくなかったのか、あらゆるページに夫の名前が色んな色で記されている。幼い彼が夢中になって読んでいる様子が目に浮かぶ。その○十年後の今、私が、その本とにらめっこしている不思議。

 

アイルランドは、また感染者数が上昇中。今年のクリスマスも、いつものように集うことはできないかもしれない。

さてさて、今年のクリスマスは、サンタのクッキーでも焼こうか。

 

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