maimaiomaiのブログ

アイルランドと日本の狭間で 言葉を解き、紡ぎなおす者として

妖精を探して

 

昔から、子どもの頭には妖精が住んでいると信じていた。

東南アジアの国で子供の頭を触ってはならないのは、きっとこのせいだと思い込んでいた。

だいたい、この妖精は、7歳頃から荷づくりをはじめて、10歳になる頃には、もっと幼い子どもやお年寄りの頭に引っ越しする。私の姪や甥もそうだった。私の一番下の甥の頭に住んでいる妖精も、そろそろ荷造りをしている頃。私の父親の頭に移住を企んでいるかもしれない。妖精は、自意識やロジックが嫌いなのである。子供の頭に自意識が増えていくと、妖精は、ブーブー言いながらため息をつき、他の住処を物色しはじめる。

子どもの頭は、不思議なベールのようなものに包まれているように思えて、私はこのベールをずっと妖精と呼んでいた。もちろん、小鳥の頭にも妖精は住んでいる。赤ちゃん鳥でいっぱいになるこの季節、私は妖精たちに会いに、カメラを片手に公園へ繰り出すのである。面白いことに、庭の生垣の中に鳥の巣を見つけるのは、いつも子供。鳥のサイトを訪れると、「娘が鳥の巣を見つけました、これはなんの鳥の巣ですか?」という投稿が目立つ。

先日、何気なくネットサーフィンをしていると、この妖精の正体が明らかになった。幼い子供の脳や、入眠時または夢を見ている時の脳はTHETAシータという脳波を発するらしい。起きている大人にはない脳波で、癒しにもつながっているのだとか。私は、この脳波のことを知ったとき、すぐに子供の頭に住む妖精のことを想った。

夢を見ている時にシータ波を発しているというのはとても納得である。夢は、いつだって独創的。私はいつも夢から、インスピレーションをいただいている。夢の中では、理屈を超えて、なんだって可能なのだ。

アクシス・バリーマンという劇場から創作費をいただいた。作品執筆のために、資金が支給されるのである。こちらでは、作品の発表ではなく、執筆や創作のために費用が供給される。Buy time(創作のための時間を買う)などと言うのであるが、資金面に余裕が生まれ、作品に没頭できて、発表しなければならないというプレッシャーからも解放される。そして、失敗しても特に責められず、それも創作の一環としてとらえられる。そこに大きな学びがある。

地球の温暖化も深刻に受け止めており、サスティナブルな創作に関するコースも無料で受けられる。

この劇場のスタッフが主に女性。芸術監督の女性は幼い娘を抱え、もうひとりのスタッフは産休に入る手前。てんやわんやしながらも、アーティストを支えたいという強い情熱がひしひしと伝わった。ギスギスせずに、どうしても完璧にこなせない仕事を、お互いに許し合いながら、支え合いながらやっているのが、とても伝わった。こういった寛容さ、良い意味でのデタラメさは、これからの時代、大事なのではないかと思う。

創作や執筆には、妖精の力、もしくはシータ波が必要だと思う。私は、自分の頭から妖精が去った時期を、明確に覚えている。確か小学校5年生の時のピアノの発表会の前後。その一年前の発表会の映像には明らかに妖精がいたのだが、その翌年の発表会の映像には、もういなかった。妖精の代わりに、自意識のようなものが、はっきりと映っていたのである。

妖精が好きなのは、柔軟な頭、自由な発想、夢のような、つじつまの合わない世界。だから私は、創作に没頭しているとき、妖精に手招きしながら、いらっしゃい、いらっしゃいと誘うようにしている。やってくることもあれば、見向きもされないこともある。じっと、待つしかない。

私は、あの妖精が映っていた時のピアノの発表会の頃の自分がとても自分らしく思えて、いつも、あそこに戻りたい、戻りたいと願っているところがある。

白鳥の家族が、最近、子どもたちを連れて近くの川を移動している。白鳥のお母さんは赤ちゃんを引き連れ、必ずその背後には、お巡りさんのように、赤ちゃんを狙う肉食動物を見張るお父さんがいる。赤ちゃんの白鳥たちが現れると、目の前で無表情で歩いていた老人男性の顔にふわりと笑顔がにじんだ。

これも妖精の仕業に違いない。

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