maimaiomaiのブログ

アイルランドと日本の狭間で 言葉を解き、紡ぎなおす者として

重い女

 

鳥の世界にも、重い女はいるらしい。

可愛がっているコマドリ、うたこに妻(ベティー)ができた。この時期になると、巣作りがはじまり、雄が雌に餌を与える。その際に、雌は「餌をおくれ」と、チッチッチと鳴く。そこではじめて性別が分かるのだ。うたこ、と名付けたものの、実は雄だったのである。

うたこには妻ベティーの他にペギーという愛人がいて、結局ベティーと一緒になったのだが、ペギーは諦めきれない様子。うたこが近くにいると、チッチッチと激しく鳴き始める。それでも、うたこは無視するので、ペギーのチッチッチはさらに切実さを増す。その声があまりにも痛切で、聞いていて胸が痛むのである。ペギーは、休みなく、いつまでもチッチッチと鳴き続けるので、いつかオフィーリアのように狂ってしまうのではないかと気が気でない。ペギーは、いかにも気が強そうな顔をしている。一方、ベティーはか弱そうで、守りたくなるような顔つき。

この時期の雌は可愛い。このチッチッチというのは、いわば、赤ちゃんコマドリがご飯が欲しい時に出す声。つまり、雌は、子供を作る時期になると赤ちゃん返りをするのである。一方雄は、雨の日も日照りの日も、夜遅くまで餌確保に勤しむ。そのひたむきな姿は、見ていて涙が出るほどだ。

私にもペギーのような「重さ」があるからか、あの執拗な鳴き声がどうも胸に突き刺さる。こういった重さやしつこさは、もっと前向きなことに生かしたいものである。

3月は、とことん今取り組んでいる作品に身を注いだ月であった。演出家さんとスタジオに入り、作品を深く掘り下げた。何をするにも、結局は自分と向き合わなければならない。そこに立ち会ってくださった演出家さんには感謝の一言。こちらでは、メンターがドラマツルグのような役割を果たす。作家が作品を産む母親であれば、ドラマツルグは助産師のような存在。作家と観客の間をつなぐ、仲介人と言えるのかもしれない。

最近、とあるドラマツルグさんの話を聞いたのであるが、どれだけ経験を重ねても、どうしても色眼鏡(バイアス)をかけて戯曲を読んでしまう、と仰っていた。不条理なのに、リアリズムの観点で批評してしまう、というような。だから、何度も作家へのメモを書きなおすそうだ。「どんなに演劇に詳しい人の感想にも、バイアスが入っている」という彼女の言葉は、とても心に響いた。いろんな人の意見を聞きつつも、結局は自分がどうしたいかなのかもしれない。

アイルランドの演劇界は、移民に対して心を開き始めたばかり。先日行われた恒例の演劇賞アイリッシュ・シアター・アワードに対し、An Octoroonという作品のクリエーターが異例の声明を発表した。キャストの10人中8名が黒人であったのにもかかわらず、ノミネートされたのが白人俳優の2名のみだったからである。純粋に実力で選んだのなら分かるのだが、この作品を観た身として、どうしてもそうは思えなかった。しかし、こうやって声を挙げることで、人々の意識も変わりつつあるように思う。

一方で、今年のアカデミー賞受賞作品、北アイルランドの短編映画An Irish Goodbyeに出演したダウン症の俳優さんジェームズ・マーティンが大変注目された。彼が表彰式に着ていた、父親のお下がりだというヒョウ柄のスーツがとても微笑ましかった。こちらでは、障碍者たちが隠れていない。とても堂々としている。各活動団体が長年インクルーシブ教育に努めてきた成果なのだと思う。

異国の地で、日本人として作品を創る意義を問い続ける日々。ずいぶんと遠回りをしたような気がするが、ようやく納得いく形に近づいて来た。無駄の中で溺れてみないと無駄だということが分からない。

私の重さとか、しつこさをバネに、あともうひとふんばり。

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