maimaiomaiのブログ

アイルランドと日本の狭間で 言葉を解き、紡ぎなおす者として

1ミリの勇気

 

鳥の巣箱の中を撮影した映像にはまっている。

特に、赤ちゃん鳥がはじめて巣から飛び立つ瞬間をとらえた映像が秀逸なのである。一番目に飛び立つ小鳥は、躊躇なく、いきなり巣から飛び降りる。それを見た兄弟たちは大きなショックを受け、「今の、見たか?あいつ、飛び降りやがった!」というような戸惑った顔つきでお互いの顔を見合わせ、恐る恐る穴から外を覗いてみる。それから、二番目、三番目と続き、途中で、「お前が先に行けよ」「いや、僕はあとでいいよ」というようなやり取りがあり、ついに、最後の小鳥が巣立ち、巣箱の中は空になる。

あれだけ勇気を振り絞って巣を飛び立ったわりには、外に出た途端、どの小鳥も何食わぬ顔をしている。まるで、もう何十年も前から外の世界で生きてきたかのような余裕の顔つき。

毎回この映像を見るたびに小鳥たちの勇気に、ついつい感動してしまう。

こちらでは、戯曲を「ワークショップする(workshop a play) 」と言い方がある。紙面上だけで終わらせず、完成させる前に実際に物理的に試すということ。先日、心から信頼している演出家さんに、自分が書いた作品を読んでいただき、創作に参加していただけないかお願いしたところ、快く承諾していただいた。何ヶ月間もひとりで抱えていた緊張が溶けて、何とも言えない解放感に包まれた。

あの小鳥たちのように、勇気を絞り出したわりには、意外とその後はあっけないのであるが、孤独な作業を終えて、巣から飛び立ったような気分なのである。

アカデミー賞外国語映画部門でノミネートされているアイルランド語の映画「The Quiet Girl (An Cailín Ciúin)」がとてもいい。派手さはないが、静かで、とても美しい作品だった。大好きな小説家クレア・キーガンの短編小説が原作。心を開くことがすべてじゃない、話したくなければ黙っていればいい。ただ静かに、傷が癒えるのを待つ権利を誰もが持っている——個人的にそんなメッセージを受け取った。

孤独があまり苦ではない。それは、小鳥たちや夫がいてくれるおかげかもしれないのだが、そういう意味で最近はじめたゴミ拾い活動は、ただ黙々とゴミを拾うだけなので内向的な性分にとても合っている。

いつの間にか、友達がいればいるほど良いというような考えが染み付いていたように思うが、異国にいるからか、そういった圧力からも遠ざかり、少しずつ本来の自分を取り戻しつつある今日この頃。ただひたすら孤独に何かを深く掘り下げる子供がいたっていい。そこで極めた何かを通して、いつか誰かと深く繋がれるかもしれない。

街中で留学生の集団を頻繁に見かけるようになり、「もしかすると、パンデミックは終わったのかもしれない」と思ったりする。同じ人種同士で固まり、集団で母国語を話していることが多い。

そんな光景を見ると、あの巣から一羽ずつ飛び立つ小鳥たちを思い出すのである。

ひとりになる勇気と、つながる勇気と、

どちらも1ミリずつは、持ち合わせていたい。

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