maimaiomaiのブログ

アイルランドと日本の狭間で 言葉を解き、紡ぎなおす者として

口実

吉報や朗報というのは、普段連絡しない人に連絡する口実になるものだと思う。

 

朗報がなければ人に連絡してはならないと思い込む癖があるのだが、最近、そんな自分の癖について、じっくり顧みることがあった。相方が「そんなものを待っていたら、いつまでたっても連絡しなくて、のちのち後悔するんだぜ」、と言った。考えてみればその通りで、話題なんて、なんだっていい。庭に毎日訪れるコマドリやアオガラのことだっていい。そういう些細なことだって、連絡する口実になるはずだ。そんなことを思うと、昔の手紙の習慣をうらやましく思う。メールや携帯のテキストで、「こちらもすっかりと秋めいて、我が家の庭のコマドリがついに歌い始めました」などと言ったら、若干違和感が残るが、手紙やハガキだとしっかり馴染むのだから不思議である。

朗報などなくていい。ありのままの自分でも十分なのだ、と自分に言い聞かせ、その言葉がしっくりきはじめた頃に、朗報が舞い込んだ。

 

今年の上半期は、こちらの劇団のメンターシップ・プログラムの奨学金を受け、作品の執筆に励んでいたわけだが、その創作を続けるために、次の段階として、アイルランドのアーツカウンシルからAgility Awardsという助成金を受けられることになった。アイルランドでの初めての助成金申請は、あまりに必死で、ほぼ記憶がないのだが、申請してから三か月経ってやっと返事が来た時は、きつく身体を縛っていた緊張の縄が一気にほぐれたのだった。これで創作が続けられることを思うと、涙が出そうだった。

もう後戻りができないほど、多くの人たちにお世話になってしまったからである。

朗報は、急に空から降ってくるものではない。最近、ようやくそんなことに気付いて、妙にほっとしている。習慣のように積み上げられる地味な努力の上の延長のようなもので、実際、そんなに派手なものでもなければ、キラキラ輝いているものでもない。きんきらきんの金箔に覆われたものだと思っていたそれは、意外と木造りで地味な色をしていた。逆に親近感が沸いて、夢に対する恐怖心がなくなったのである。

今夜は、カルチャー・ナイトといって、アイルランド全国各地で文化に関するあらゆるイベントが行われた。いわば国全体がアートを愛でる会場になる。私は近くのカルチャー・センターの野外イベントに参加した。かつて田舎道の分岐点(クロスロード)で行われていた社交パーティーCrossroads danceの復活。焚火を囲んで、伝統音楽の生演奏、民謡、ダンスなどが繰り広げられる。ゆらゆらと蠢く焚火を見ていると、妙に落ち着いて、おのずと心が開かれた。火が、心を開く口実になってくれているようだった。

そして、もうすぐダブリン演劇祭がはじまる。二年ぶりにボランティアを募集するとのことで、応募してみたのだが、作品を無料で見られるなど、いろいろな特典があるのが嬉しい。執筆や翻訳など、孤独な作業が多い私にとって、外に出て人に会う口実のひとつ。

人はなんと無意識に多くの口実を作っているのだろう、と思う。ただただ、それがしたい、それが欲しい、会いたい、話したいと、素直に言えばいいものを。

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次回公演 「ダブリンの演劇人」(Ova9 第3回公演)

Dublin by Lamplight

作 マイケル・ウェスト IN COLLABORATION WITH THE CORN EXCHANGE 2022年12月6日〜12月11日 

新宿シアターブラッツ https://www.ova9actress.com/