maimaiomaiのブログ

アイルランドと日本の狭間で 言葉を解き、紡ぎなおす者として

都会の香り

久しぶりに、都会の香りを嗅いだ。

 

東京も、パリも、ニューヨークも、同じ香りがする。不思議と、ダブリンはまだ都会の香りがしない。あの都会の香りは、一体何でできているのだろうといつも思う。

 

約二年半ぶりに飛行機に乗った。自分が参加しているメンターシップ・プログラムの奨学金の一環で、海外の作品を観に行く機会をいただき、ブリュッセルの芸術祭Kunstenfestivaldesartsに出向いた。どこの演劇祭/芸術祭も、観客の芸術に対する愛を感じる。会場内の温かい雰囲気がとても好きだった。そしてブリュッセルは、都会の香りがした。

 

 

一昨日、メンターシップ・プログラムのシンポジウムがアイルランド国立演劇学校内の会場で行われた。自分が創作している作品の中間発表のようなもの。舞台芸術を愛するコアな人たちが集まり、大変有意義な時間だった。

ただのプレゼンテーションとはいえ、異国の地で、自分が創作/執筆した作品を発表するのは、私にとって人生を揺るがすほどの大きな出来事であった。伝えるのは、意外と難しい。ましてや文化の異なる人たちに伝えるとなると、日本人に伝える時とは全く違う別の神経を使う。

 

しかし結論から言うと、予想以上に大きな手ごたえを感じて、感無量であった。終わった後、とあるアーティストさんから、「いつでも連絡してください」とメールアドレスが書かれた紙切れをいただいたり、国立演劇学校に通う若い俳優の卵さんたちが、この作品に出たいと自ら申し出てくれたり。また、年配のベテラン俳優さんは、「ボケた老人が舞台上を右往左往する作品を書いてくれないかな、それなら私も出演できる」とユーモアたっぷりにおっしゃってくださった。

 

 

会場のお客さんは、自分の書いたテキスト、一言一句、しっかりと耳を傾けてくださった。あのシンと張り詰めた緊張感は、一生忘れない。

 

根無し草であることが常にコンプレックスであったが、国境を跨いだ者だからこそできる表現があるのだと確信したのであった。他の参加者も、北アイルランドのアーティスト、クロアチアからアイルランドに移民としてやってきた演出家など、偶然にも、国境を跨ぎ、自身のアイデンティティーを問い続けてきた者が集まった。今回のメンターになってくださったフォースド・エンターテイメントのテリー・オコナ―氏には、感謝しかない。彼女のアーティストとして生きる覚悟、計り知れない創造性、多大なる包容力は、是非とも見習いたい。

 

 

まだまだ改良の余地はあるが、推敲を重ね、この半年で、ずいぶんと形が見えてきた。それは、テリーのサポートのみならず、インタビューに答えていただいた数多くの女性たち、読み合わせに協力してくださった日本の女優さんたち、私が書いたものにいつもダメ出しをしてくれた相方、豊富な専門知識を提供してくれた姉、そして何より、この素晴らしい機会を与えてくれたこちらの劇団PANPANシアター・カンパニー。本当にあらゆる人たちの協力を得たからこそ、ここまで来れたのである。

 

真に、心を開く難しさ。簡単なようで、難しい。いざやってみると、あっけないのだが、そこまでの道のりは時に驚くほど険しいのだ。そんな難しさを、この作品を通して描きたい。

 

これからが大変なのであって、まだ長い道のりであるが、大きな一歩であった。いつだったか、ナイジェリア出身のタクシードライバーが「こちらさえ心を開けば、向こうも開いてくれる」と言っていたのを思い出す。

いつものことであるが、一気に緊張が解け、終わった後は凄まじい頭痛と睡魔に襲われ、早めに打ち上げ会場のレストランを後にした。頭痛は酷かったが、清々しい気分であった。嗚呼、やっと一歩踏み出せた!と心の中で叫んだ。レストランのウェイターに爽やかに挨拶し、店から出ようとしたとの時……

 

「ゴン」

 

出口の綺麗に磨かれたガラス戸に気付かず、思い切り頭を打った。痛かった。目の前がチカチカするほど痛かったが、あまりにも恥ずかしく、何も起こらなかったふりをして、店を後にした。

 

きっとこれは、調子に乗るなよ、という神様からのお告げなのだろう。

「はい、承知いたしました」

そんなことを心でつぶやきながら、まだ都会の香りがしないダブリンの街をスキップしながら帰宅した。

 

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