maimaiomaiのブログ

アイルランドと日本の狭間で 言葉を解き、紡ぎなおす者として

月が輝く夜に

時に計画性のなさが吉と出ることがある。

 

思いがけない出会い、予期せぬ出来事。それは、計画通りに物事がうまく行くことよりも感動が伴う。私たち夫婦が計画性がないのは、単に性格でもあるのだが、どこかで、そういう感動を求めているからなのかもしれないと思うことがある。

 

先日、バスで近くのHowthの崖まで遊びに行った。崖の上の灯台にたどり着くと、普段は、小鳥がいっぱい見られる方——左のハイキングルートを選ぶのだが、なぜかその日は、右を選んだ。そして、そのルートは思いのほか長く、街にたどり着いた頃には、日が暮れそうだった。滅多に外食などしない私たち夫婦だが、その日はさすがに疲れ果て、近くのレストランで食事をすることにした。

 

へとへとだったので、なるべく近い中華レストランを選んだのだが、入ってみると、中は、お洒落をして、前々から予約をして来たようなお客さんたちばかりだった。崖のハイキング帰りで砂だらけのスニーカーを履いた私たちは明らかに浮いていた。誰もがしっかりとフルコースを楽しんでいる中で、餃子の王将に入ったかのごとく、チャーハンを頼む私。たまには、別世界で生きる人たちの中に紛れるのもいい。帰り際にいただいたフォーチュンクッキーのおみくじには、「ビジネスで大成功」と書かれてあった。お守りにおみくじをポケットに入れて、上流階級気分を味わった私と相方は、気分よくレストランをあとにした。

レストランの目の前にあるバス停の掲示板には、次のバスが来るのは二十分後、とあり、仕方なしに、バスのルート沿いに自宅へ向かって歩くことにした。高級住宅街を抜けて、海辺にたどり着き、「そういえば、今夜は中秋の名月だね」なんて言いながら不思議な気配を感じて後ろを振り返ると、昇りたての見事な中秋の名月が、橙色に輝いていた。

海に反射した月の光は、まるで、「どうぞ思う存分、踊ってください」、と言われているかのようだった。海の舞台に照らされたスポットライトみたいで、「コーラスライン」に出てくる登場人物が、一人ずつ、月のスポットライトの中に入るのを想像した。海に反射された月は、いつか見たいと思っていたのだが、まさかこんな日に見られるとは思ってもみなかった。

何気ない小さな選択の積み重ねによって導かれた月光は美しかった。前々から中秋の名月を見ようと計画して、月が昇る時間に合わせて海へ赴くよりも、ずいぶんと色気がある。

日々、直面する小さな分岐点を想う。起きるか起きないか、行くか行かないか、するかしないか、受けるか受けないか、勇気を振り絞るか、あきらめるか、右か左か。

小さな選択の積み重ねの上に奇跡がある。

複数の作品や戯曲と向き合いながら、張り詰めていた背中が一気に緩んだ瞬間だった。

今、大人になりたてのコマドリたちが、生垣の中でひそかにお歌を練習している。人目をはばかり、一生懸命小さな声でピヨピヨと練習する姿がとても愛らしい。冬になれば、あの真っ赤なお胸を突き出し、自信満々に歌いだすのだろう。

予期せぬ出来事に感動する一方で、毎年、約束ごとのように、しっかり季節の変化に合わせて変わっていく小鳥たちの姿を見ていると、とても安心する。

 

しかし、時には無計画に、いつもの左へ曲がるところを右へ曲がってしまえるほどの余裕は持ち合わせていたい。

 

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