maimaiomaiのブログ

アイルランドと日本の狭間で 言葉を解き、紡ぎなおす者として

目を逸らさず

 

今年はズッキーニを育てている。

メスの花とオスの花の咲くタイミングがなかなか合わず苦戦しているが、

オスがなかなか咲かなくて孤独に数日間咲き続けるメスの花を慰めるように

花の中で蜂が寝ていたり、

オスの花がいっぱい咲けば、

まるで金貨の海に身体をうずめるように、

勝ち誇ったように体を花粉に擦り付けて

オス花と戯れる蜂を見つけたりもする。

不条理なこともあるけれど、世の中はよくできているなと感心する。

 

 

最近、近くのスーパーで物乞いをする女性を見かけるようになった。

その女性の隣にはいつも、ベビーカーの中で眠る赤ちゃんがいる。

あまりにも胸が痛む光景なので、

いつも気にしていたのだが、ある日、その近くのカフェへ寄ると、

隣のテーブルでその女性と赤子と、年配の男性が深刻な話をしていた。

年配の男性は、丁寧にゆっくりと、まるで子供に語り掛けるように

分かりやすく女性に何かを説明している。

女性の旦那に対してとれる法的措置について説明しているようだった。

引退した弁護士だろうか。

どうやら女性は、旦那の暴力で家の無い生活を余儀なくされたようである。

その年配男性は、毎日物乞いをする女性を見かねてボランティアとして手を差し伸べたのではないかと予想する。

 

そんな中、ワサワサしていた赤ん坊が急に静かになったので、

パッと赤ん坊の方を見ると、赤ん坊が私の方をジ―っと見ている。

あどけなさというものがあまりなくて、

鋭いまなざしで私の目をジッと見ている。

睨みつけているのとはまた違うのだが、私の視線をつかんで離さない。

しっかりとした顔つきの男の子だった。

一瞬ドキリとしたものの、

視線をそらしてはならないような気がして、

私もしっかりと赤ちゃんの目を見返した。

 

「頑張れ、わたしも頑張る」

 

なんだか、そういう一種の契約を交わすかのように、

その赤ん坊と私はしっかりと視線を交わした。

 

帰り道、きれいに着飾り、幸せそうに笑う母親と赤ん坊が

私たちの横を通り過ぎたときは、何とも言えない気持ちになった。

 

あれから、スーパーの前で、あの女性を見ることはなくなった。

屋根の下で暮らせていることを、切に願う。

 

また、数日前は、相方と散歩しているときに、十代の犬の散歩をしている男の子が

 

「救急車を呼んでもらえませんか」と歩み寄ってきた。

 

ふと横を見ると、ホームレスらしき男性が倒れている。

その横には、大きな声で助けを求める女性がいた。

その女性もまたホームレスのようであった。

 

実は、携帯で誰かを呼べと頼まれたのは今回が初めてではない。

ついこの間も、公園の銅像に悪さをしている悪ガキたちがいて、

そこを通りすぎた時に、ズンズンと女性が近寄ってきて「警察に通報してちょうだい」と言ってきた。

 

「え、自分でしろよ」と思わず突っ込みたくなるのだが、

ついつい私たちは、「は、はい」と言ってしまう。

 

女性も男性も、明らかにアル中である。

強烈なお酒の匂いが鼻について、思わず息を止めてしまったほどだ。

女性は男性の友人だという。

こういった時の判断はとても難しい。

ただの酔っ払いじゃないか、自業自得じゃないかと言ってしまえばそれまでなのだが、

足を止めた私たちに

「誰に声をかけても相手にしてくれなかった、ありがとう」と繰り返す女性を

無視するわけにはいかなかった。

それに、明らかにその男性は具合が悪そうだった。

 

歩道の横に芝生がある。彼らはそこのベンチに座っていた。

歩道と芝生の間には細い自転車用の道がある。

 

救急車を待っている間、ピュンピュンと自転車がいくつも通るので、

私たちは歩道から芝生の方へ移動した。

 

 

その時、自転車の通路がまるで境界線のような役割を果たしはじめた。

「向こう側」と「こちら側」。

ホームレスの二人と同じ側にいる私は、

歩道を歩く人達のなんとも言えない冷たい視線を何度も目の当たりにしては、

胸に突き刺さった。

この人たちは、毎日このような視線を浴びているのかと思うと、

いたたまれなくなった。

 

救急車が到着するまで30分かかった。

救急隊の人達には、到着するまで現場から離れないようにと指示された。

今まで体験したことがないほど、長い、長い30分だった。

女性はその間ずっと大きな声で話し続けた。

彼女の手首には白い包帯が巻かれていた。

その身の上話は、どこまで本当かは分からないが、受け止めがたいほど重かった。

そして、その倒れている男性は、一年前に妻を亡くしたという。

 

周りには、女性が飲んだらしいお酒の瓶や缶が散らばっている。

 

 

 

思えば、この人たちは、具合が悪くても、医者に駆け込むこともできないのかもしれない。

ここまでボロボロになるまで待って、

いざとなった時は救急車を呼んでくれと人に頼むことしかできないのかもしれない。

 

30分が経ち、ようやく救急隊が現れ、私たちはそのまま救急隊たちに託した。

 

帰り道、同じ場所を通ると、

瓶も缶もきれいになくなり、

あの二人もその場から姿を消していた。

一瞬、あの出来事が夢だったのかと思った。

救急車に運ばれたのか、そのままその場を去ったのか、分からない。

 

誰も座っていないベンチの横で、木の枝と芝生が秋を運ぶそよ風に揺られて、

ただただ葉っぱの揺れる音だけが辺りに漂っていた。

私たちは会話もせず黙って、ベンチを横眼で見ながら、

その場を通りすぎた。

 

私の中でこの二つの出来事は、大きく私の脳、いや、心に刻まれた。

彼らの抱えているものがあまりにも重く、深く、

抱え切れないまま、のちに涙としてボロボロと出てきた。

 

 

日本にも貧困の問題はあると思うのだが、

なぜかあまりそことは交わらずに生きてきた気がする。

こちらでは、どうしても向き合わざるを得ないほど、身近にそれがある。

時にこうやって、目の前にドンと現れるものだから、向き合わざるを得ない。

 

前回の投稿でも書いたように、アベイ国立劇場のオンライン企画で、

国が抱えている問題を取り上げた。

国民から今国が取り組むべく問題を綴った「アイルランドへの手紙」を募集し、

俳優が読み上げたのだが、冒頭で著名なジャーナリスト、フィンタン・オートゥールが登壇した。

「目に見えない」コロナウィルスによって、

今まで目の片隅でしか見ていなかった人達の存在があらわになったと話した。

集団で生活せざるを得ない移民、劣悪な環境で働くざるを得ない低所得者、老人施設で暮らす高齢者。

主に、こういったところでクラスターが起きたからだ。

 

弱者から目を逸らせば、かならずそのツケが自分に回ってくる。

そういう複雑な社会構造が、「目に見えない」コロナによって「目に見えるようになった」。

これを機に、Invisible(目に見えない)な存在に目を向けるべきだと語った。

 

正直、目を向けるのはとても辛いのだが、

少しずつ、少しずつ、その強さを持ちたい。

 

 

 

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