maimaiomaiのブログ

アイルランドと日本の狭間で 言葉を解き、紡ぎなおす者として

私の空き部屋

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人は誰もが空き部屋を抱えているらしい。

 

外部からの刺激がなければ、埃をかぶったまま永遠に空き部屋として放置されるのだろうが、アイルランドの文化は、私の埃まみれになっていた空き部屋を、次から次へと開拓していく。

 

第一回ロックダウンから1年が過ぎ、まだネット配信ではあるが、新しい演劇作品が続々と発表されている。そしてその多くが良作で、配信がやや苦手であった私でさえもパソコンの画面に張りついてしまうほどなのだ。

 

先日は、アイルランドの詩人イヴァン・ボーランドをフィーチャーした作品が発表された。

 

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「子供を寝付かせ、カーテンを閉めると、言葉が私を待っていてくれた」

 

正確ではないが、劇中にこんな一節があった。

イヴァン・ボーランドは、子育てや主婦の日常を詩にした人。当時、そういった内容を詩にする詩人は珍しかった。夜中に起きて娘にミルクをあげる様子を描いた「Night Feed」はアイルランドで有名な詩のひとつ。朝日が昇る前の、娘との二人きりの静かなひとときが、二人を包み込む何気ない自然の風景と共に、ふわりと浮き上がる。

 

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アイルランドは、詩人が多い。私の相方にも詩人の友人が数人いる。大統領でさえも詩人。詩が日常にしみこんでいる。日本では何か崇高で手が届かないもののように思えていた詩が、すっと手を伸ばせば触れられるものに変わった。

だからといって、それが「低俗」であるとか、「カジュアル」ということではない。禁じられていたものが許されるような、そんな雰囲気がこの国にはあるように思えてならない。

 

そして、それはまたもや、私の空き部屋の扉をやさしく叩くのであった。

 

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アイルランドには、かつてKeening Womanという女性たちがいた。お葬式で哀しみを表現することを仕事とする女性たちのことである。韓国の「泣き女」のようなものらしい。ある調べ物をしていた際に彼女たちの実際の声を聞いたのだが、今まで聞いたことがないような「音」に思わず鳥肌が立った。歌とも声ともいえない、悲鳴のような音だった。

 

鳥肌が立ったというのは、決して感動したという意味ではない。むしろ耳をふさぎたくなるような不快な音だった。絶対音感のある人によれば、このKeening Womanの放つ声は、微妙に音が外れているという。私にはそんな音楽的才能はないが、とても居心地の悪い音だと感じた。

 

彼女たちは、かつてプロの泣き屋として葬式に呼ばれ、即興的に声で「哀しみ」を表現した。私が喪に服す側だったらもっと心地いい音を聞きたいものだが、もしかすると、昔の人は、こういった心の闇さえも受け入れられるほどの器があったのかもしれない。

 

その不快な音は、普段蓋をしている自分の汚い部屋に蛍光灯の光を照らすかのようだった。

 

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最近、相方から一日に一語、アイルランド語の言葉を教えてもらっている。

渡愛してから習い始めたアイルランドの伝統の踊り、シャンノースのステップは、慣れ親しんできた米国産のタップダンスとはカウントの取り方が異なり、使ったことのない感覚や脳みそを使っている。

 

戸惑いながら、迷う足を前に出しながら、空き部屋が徐々に開拓されていく。

埃は取り払われ、照明がついて、普段は手を出さないような模様の壁紙が貼られ、見たことのない素材でできた家具で埋められていく。

 

私がアイルランドに来たのは、この放置された部屋に新たな住人を入れたくて仕方がなかったからなのかもしれないと、最近つくづく思うのである。

 

散文を交えてイヴァン・ボーランドの詩をフィーチャーしたその舞台作品は、どうやら演劇作品としては認識されず、批評も出なかったが、私はとても好きな作品だった。好きを知ることは、嬉しいこと。

 

※追記:だいぶ遅れて批評が出て、賛否両論でした。

 

 

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