maimaiomaiのブログ

アイルランドと日本の狭間で 言葉を解き、紡ぎなおす者として

親愛なるフランキー

 

「『君のせいじゃない、コロナのせいだ』という文句が成立する世の中かもしれない」

 

アイリッシュ・タイムズ紙の土曜版に、人生相談のコラムがある。

 

精神科医ロウ・マクダーモットが相談役。いつも答えが的確で、毎週楽しみにしている。自粛期間にパートナーとの関係が悪化したという相談が絶えない中、マクダーモット氏が相談者の一人に放った言葉が上記の台詞だった。

 

こちらでは、こういう「お悩み相談役」を「Agony Aunt」と呼ぶ。親ほど近すぎず、他人ほど遠くない、「叔母」のような存在が一番相談しやすいというところから生まれた言葉だろう。

 

60年代から80年代にかけてアイルランド国営ラジオで大活躍したAgony Auntがいる。フランキー・バーンズという女性だ。どの国にも、江原さんのような人はいるらしい。多くの女性がキッチンに閉じ込められていた時代に、フランキーは女性たちの悩み事に真摯に耳を傾け、説得力のある深いハスキーな声で、時に厳しく、時にやさしく、女性たちを励ました。かける音楽は、フランク・シナトラ一筋。放映中、煙草が手放せなかった。お昼間の2時になって、印象的なジングルが流れた途端、女性たちはラジオにくぎ付けになった。

 

「みなさま、こんにちは。女性のための、女性について語るラジオ番組です」

 

番組の名は、「Dear Frankie」。「親愛なるフランキー……」女性たちがフランキーに宛てた手紙を次々に読みあげる。興味深いのは、これほど女性たちに結婚や離婚や恋愛について助言していたのにもかかわらず、フランキーの私生活は波乱に満ちていたという点である。

 

 

母性の薄い母親、30年におよぶ不倫、アルコール中毒、出産後すぐに手放さざるを得なかった娘。シングルマザーには恥がつきまとい、不倫相手の子供を一人で育てるなど、考えられなかった時代だ。子供が生まれる直前まで妊娠を隠し、気丈に働き続けたという。

 

自分の人生がうまく行っていないのに、なぜ人の助言などできる?と言う人は多いだろうし、理屈で考えれば確かにそうなのかもしれないが、実際こういう女性はいる。フランキー自身、劣等感の塊だったが、人の恋愛相談に乗るのは誰よりも得意だった。それに、自分のことは分からなくても、人のことはよく分かるものだと思う。

 

思わず心の内を打ち明けたくなるような安心感を生まれながらに持っていたのだろう。スナックのママみたいで、正論を並べた自己啓発本(とはいえ、私も自己啓発本にお世話になったのであまり悪くは言えない)よりも人間味があっていいなぁと思う。

 

 

 

それはどこか、俳優の「あたり役」と似ている。心優しい俳優が演じる悪役、見るからに清楚で知的な女優が演じる歪んだ悪女役、文句の付け所の無い母親が演じる極悪な犯罪者。そういった例は数多くある。私生活とは関係ない、その人のもっと奥深くに眠る何かが、役と呼応し合うのだと思う。

 

自己啓発本が流行る前は、人生の先輩の助言を頼りにしていた。その人の体験からこぼれ出る言葉には、妙な説得力があった。その時は意味が分からなくても、力のある言葉は時空を超え、ブーメランのように戻ってくる。ある日突然、雷のように言葉が腑に落ちる。その人が人として優れているか、というと、そうでもない。それでも、彼らの言葉には人間らしいぬくもりがあって、心に響いたものだ。

 

それに「悩みを聞いてもらう」という行為に人々は救われるのだろうし、いつだって最終的に決断を下すのは自分だ。

 

80年代半ば、ついにDear Frankieは幕を閉じ、フランキーはあっけなく人々から忘れ去られていった。しかし、今女性たちが自由に女性の問題についてラジオで赤裸々に語れるのは、彼女の貢献があったからこそ。

 

晩年は重度の痴ほう症を患い、孤独に過ごした。ほぼ意味不明なことしか言葉にできなかったと言うが、老人施設を訪れた知人は、理解できる文章を彼女が口をしたのを、一度だけ耳にしたという。

 

「誰かが、私の頭から言葉を盗んだみたいなのよねぇ」

 

最後までラジオパーソナリティーらしく、ウィットを忘れなかった。

 

 

 

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