maimaiomaiのブログ

アイルランドと日本の狭間で 言葉を解き、紡ぎなおす者として

演劇版紅白歌合戦

 

先日、ダブリンの中心街で、LGBTのフェスティバルが開催された。

虹色の服やメイクで着飾った若者たちが街中を練る歩き、

パブや郵便局、そして、公共の建物にも、虹色の旗が靡いていた。

国立の美術館でも、「LGBTツアー」と称し、

常設の作品に「この作者は/この写真に写っている人物は、

実はバイセクシュアルと公言していました」

というような言葉を添え、違う視点から作品を楽しめるようになっていた。

 

私は少し前まであまりこういった話題に興味を抱いていなかったものの、

私と相方との関係も、所謂世間で言う「普通」のカップルではなく、

道を歩いていると、よく二度見されるので、他人事とも思えず、

徐々に、こういった方たちにも頑張って欲しいなとエールを送るようになった。

 

 

CMなどを見ると、ステキなマイホームに

異性同士で年齢が同じくらいの夫婦が肩を並べ、

子供が周りで遊んでいるというような光景が一般的である。

私もそういったものを見て育ったので、

私も実はいずれそういう風景の中に身を置くのだとばかり思っていたら、

結果、ものすごい角度で道が逸れてしまった。

 

しかし、どういったことか、どうも幸せなのである。

こういう体験をすると、世のプロパガンダに流されず、

如何に自分の心に正直であることが重要かが分かるものだ。

 

 

アイルランドへ来ると、いつもまるで隠居生活のような生活を送るのであるが、

もともと内向的な性格の自分には、庭の野菜がぐんぐん伸びていく光景を眺めながら

自然の中をたまに散歩しながら、丁寧に料理しながら

翻訳業を営むという生活が、とても性に合っているようなのだ。

 

話は逸れてしまったが、アイルランドでは、

今回のLGBTのような類の行進が頻繁に街の中心部で行われる。

そういうところが、非常に意志表示がはっきりとしていて気持ちがいい。

 

 

去年の年末ごろであったと思うが、商業的な海外の輸入ものばかりを上演していた国立劇場に対して「国立劇場なのに、アイルランド人の俳優が全く雇われていない」と抗議の署名活動を行っていた。

 

そういえば先日、その国立劇場で、2本演劇を観劇させていただいた。

一つは、ケベック出身の作家ミシェル・トランブレの作品の翻案「The Unmanageable Sisters」。総勢キャスト15名、全員年齢層の異なる女性たちによるドタバタ喜劇。もう一つは、「Two Pints」という男性2人が永遠にギネスを飲みながら人生について語り合う芝居だった。

両作品、同じ期間に同時上演されている。

 

 

前者は中年にさしかかった女性たちが旦那をコテンパにディスる一方で、

後者も負けないくらい妻や女をあざ笑う。

お互いに悪口を言い合っているのに決してネガティブにならない大胆さが妙に爽快だった。

まるで「演劇版紅白歌合戦」である。

 

批評家の評価はイマイチだったようだが、

観客席には一般客が目立ち、一喜一憂しているのが肌で感じられた。

芸術的には、確かに物足りなさはあったものの、

こういう大衆的な演劇も大事だと感じる。

アイルランドでは、幕が開くと同時にアイリッシュ・タイムズ紙などの新聞に

批評や星の数がバーンと出る。

それほど批評家システムが成り立っているようなので、素晴らしいなと思う一方、

本物の会場の空気には敵わないと思うこともある。

 

Two Pintsの方は、全国をツアーで周り、各地のパブのようなところで上演したというが、

確かに、それくらいの至近距離で見た方が、作品に合っていたかもしれない。

 

 

 

街の中心にあるBewley’s Caféという場所では、カフェスタイルで毎日ランチタイムに演劇が上演される。

大体の上演時間は1時間程度で、独り芝居であることが多い。

つい最近まで、なんとスープとパン付きだったらしいが、

最近は、色々とシステムが改正され、ドリンクに変わったそうだ。

 

私自身、スープを飲みながら演劇を見る気はあまりしないし、

スープを飲んでいる人の前で芝居をするのも想像できないが、

非常にユニークなので、「スープ付き演劇」を是非とも維持していてほしかった。

料金も10€前後なので、本当に気楽に見ることができる。

若者たちが実験的に行うものが多いが、

セットやスペースが限られているため、

役者が何役も演じたり、身体を駆使するような作品が多いように思う。

もうそのエネルギーったら凄まじいものがあって、毎回、劇の出来の良しあしに関係なく、最後は大きな拍手を送りたくなる。

 

 

その他にも、まだ世界にさほど知られていない

アイルランドの素敵な劇作家たちの戯曲に触れながら、

いつか日本で上演したいなと胸を膨らませながら、

彼らの言葉を必死に追いかけている。

アイルランドの文化は、というか、どこの文化もそうなのかもしれないが、

例え英語であったとしても、ある程度深く社会に身を浸さなければ理解できないものが多い。

 

アイルランドは、バブル崩壊後、多くの劇団が解散してしまったようで、

現在、演劇は物凄く盛んかどうかと聞かれれば、さほど盛んではないかもしれない。

 

それでも、言葉に物凄く敏感であり、そして、言葉が巧みな国民であると思う。

 

それは、道行く人々がお互いにさりげなく交わす挨拶の中に、

肉屋のおじさんとの会話の中に、

かすかにかいま見ることができるのだ。

 

 

Unauthorized copying of images strictly prohobited.