北西部に位置するスライゴ―という街を訪れた。
ここは、WBイェイツという作家がこよなく愛した土地としてよく知られている。
そして彼のお墓もまた、この土地のドラムクリフという場所にあるのだが、
これほどにも有名な作家なのにもかかわらず、
他のお墓と肩を並べて、特に奉られている感じもなく、
地味にひっそりと緑の芝生の上に、その墓碑は、素知らぬ顔をして立っていた。
この墓碑に刻まれた文言はあまりにも有名である。
「Cast a cold eye
On life, on death
Horseman, pass by!」
(生と死に、冷たき眼差しを
馬の上の君、通り過ぎよ!)
訳すと、こんな感じだろうか。
スライゴ―は、湖と川と海を一気に楽しめるなんとも「都合のいい」場所である。
一石三鳥。
車のない私たちでさえも、バスなどを利用して非常にスムーズに色んな景色を楽しむことができ、「お得感」があった。
シーンとひっそりと息をひそめる湖と、ひそひそとささやく川と、激しく唸る海。
湖は静かすぎて、裏があるような気がしてドキドキしてしまうし、
激しく唸り続ける海は少々心臓に悪い。
昔から川が好きなのだが、やはり、小声でおしゃべりをしながら
穏やかに流れゆく川が性に合っているように思う。
ようは、自分が何かしなければならないような気がする環境が苦手なのだ。
ちなみにエネルギー溢れる相方は、一か月に一度は海の波に飲まれて泳がないと少し情緒不安定になる。だから今回も、旅の最初にローゼス・ポイントという海岸で思い切り泳いでいただいた。
そんな相方も、川のささやきが今回たいそう気に入ったらしく、川辺を歩いている時は、数分立ち止まり、川の音を携帯に録音していた。
湖のそばを散策していると、
シーンとして停滞した空気をかき混ぜるかのごとく、
突然どこからともなく風が吹いて林の木をぐわーっと揺らしたりなんかして、
神様からの伝言なのかと思うほど、神秘的だった。
イェイツの墓の横にある可愛らしいクラフトショップでバスを待つ間ぶらぶらしていると、
とある本に釘付けになる。
その表紙には、自分の性器をドーンともろに丸出しにしている女性の石像の絵が載っていたのである。
強烈なビジュアルに惹かれて思わず手を取って読んでみると、
中世のアイルランドで盛んだったと考えられている「シーラナギグ」という奇抜なポーズをした女性の裸の石像に関する歴史書であった。
あの清純な聖母マリアの像や絵画が教会に並んでいた時代に、
この強烈な像もあったとは、なんとも信じがたい話なのだが、
当時は、決して卑猥なものではなく、むしろ生と死を意味し、悪を追い払うものとして奉られていたと考えられているそうで、キリスト教がアイルランドに普及する前の宗教に通じるものもあるとかないとか。
しかも、この女性像、どうやらほとんどが中年の女性らしく、
胸もおなかも垂れ下がっていることが多いのだというのだから驚きである。
第一次世界大戦前、派閥間の闘いが絶えなかった時代、とある男たちが敵の派閥の家を襲ったことがあった。
そこで家主の女性が家から出てきて、スカートを顔までバッと持ち上げて自分の性器を敵に見せると、男たちは「わぁー!」と叫びながら逃げたという逸話が語り継がれている。
昔から、女性の性器を厄除けと結びつけることはよくある話なのだとか。
エジプトのピラミッドよりも前からあるニューグレンジの古墳は、子宮の形をしているとも言われていて、そこから古代の神々が生まれて来ると考えられていたそうな。
冬至の日に、太陽の光がその子宮である古墳の中の通路を貫通し、そこから、オェングスの神が生まれると考えられていた。
シーラナギグのほとんどが教会の入り口や、門の上などに刻まれていることが多いらしく、
この歴史書には、「まるで、本来隠すべきものを隠し忘れて放置されているかのような——」と書かれている。
今だからこそ、教会の門にこのような石像があるとギョギョっとしてしまうが、
かつては、もっと自然なこととしてとらえられていたのかもしれないのだ。
昔の人の感性というのは、想像力というのは、なんと豊かなことよ。
このシーラナギグがなぜこれほどにも奉られていたのか、その理由も、名前の由来もまだ明らかになってはいないそうだが、
アイルランドでは、120個ほど発掘されたそうで、
ダブリンの近くにもあるそうだから、今度拝みに行こうと思っている。
「シーラナギグ巡り」なんていう旅を計画してみるのもいいかもしれない。
私は完全に、この不思議な像に虜になってしまった。
イェイツ様には申し訳ないが、シーラナギグとの出会いがあまりに強烈で、
イェイツ様の影が薄くなってしまった旅であった。
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