maimaiomaiのブログ

アイルランドと日本の狭間で 言葉を解き、紡ぎなおす者として

上手に忘れて

先日、とても懐かしい友人から連絡があった。

 

アメリカに住んでいた頃、仲良くしていた友人である。日本に帰国してからもしばらく文通していたのだが、いつのまにか連絡を取らなくなっていた。いつ、なぜ、連絡を取らなくなったのかは、まったく思い出せないが、彼女曰く、私が日本に帰国して1-2年後に阪神大震災が起き、そのあたりから突然、連絡が途絶えたという。私自身、まったく記憶がない。

 

アメリカから神戸、神戸から東京、東京からアイルランドと、どちらかというと移住を経験している方だと思うが、移住というのは予想以上に身体にストレスが加わるものなのかもしれないと最近になって思う。新たな地で前へ進むために、無意識にいろんなことを記憶から消しているのかもしれない。捨てなければ、前に進めないことがあるからだ。そういう意味で、移住した者の方が、その地に残った者よりも、記憶が薄められるのかもしれない。彼女にそう言われて、改めて、そんなことを想った。

 

 

移住して2年半が経ち、先日ようやく、滞在ビザの手続きを終えた。ロックダウンで手続きが滞り、時に爆発してしまうほど理不尽な想いをしたのにもかかわらず、いざ終えてみると、意外とすべてがあっけなかった。

 

やっとたどり着いた移民局での面接で「なんで、二年半もかかったんですか?」と面接官の方から不思議な質問をされたので、心の中で「こっちが聞きたいですが」、とつぶやきながら、

 

「入国して3か月以内に手続きを済ませる予定がコロナで面接が延期されて、しかもすでに面接を予約している方は優先的に自動的に再度予約されるとHPに書かれているのにもかかわらず半年待ってもまったく連絡がなく仕方なしに移民局に出向いたら門前払いされ電話番号もどこにも書かれていないので仕方なしにメールしたら何十ページにも及ぶ申請書のようなものを提出してくれと言われて提出した数か月後にまた同じような書類をもう一度提出してくれと言われて、やっと一時的な滞在許可が下りたと思ったらこの面接を予約するだけで5か月かかって結局ぜんぶで2年半かかったんですよね!」

と息継ぎなしに説明した。

 

相方は真後ろにある待合室で待っていたのだが、私の声はそこまで響き渡っていたらしい。その面接官の方は、「サンキュー」とだけ小声でボソっと言った。

 

 

そのあと、面接官の方が、「コンニチワー!」と言いながらパスポートにスタンプを押すのを苦笑いで見届け、「あなたの指紋、取りにくいですね」と言いながら、必死に私の指をスクリーンにぐいぐい押し付けるおじさんの青いゴム手袋をぼーっと見つめた。肩の荷は下りたが、涙を流すほどでもなかった。

 

ただ、移民局を出て一番にカフェで相方と飲んだ珈琲はとてもおいしかった。

 

予定や約束など、覚えていなければならないことは人生山ほどあるが、意外と忘れた方が人生上手くいくことの方が多いように思う。私と相方のモットーは、Forget not forgive であり、喧嘩しても、許す前に忘れる。そして、喧嘩の原因を忘れて困ることがあまりない。庭を訪れるコマドリの花子と太郎をふたりで眺めていると、いろんなことが馬鹿らしくなってくる。

 

 

花子はとても大胆で、ミミズを攻撃するのに必死。私たちの存在など、まったく気にしない。それよりも、ミミズをゲットすることとお風呂に入ることしか興味がない。一方、太郎は落ち着きがない。ヒマワリの種を取りに来ても、いつもびくびくしている。まっすぐミミズを追いかける、生命力あふれる花子を見ていると、なんだか勇気が湧いてくる。そんな花子は、私のアイドルなのだ。

 

懐かしい友人とやり取りをして、懐かしい気持ちでいっぱいになった。カラッとしたアメリカ人特有のオープンさに触れた時、ああ、懐かしい、と思うことがある。人は忘れる生き物なのだろうが、ふと何かの節に、細い針のようなものによって、何年も封じ込められていた空気がぶわっと解放されるようなことがある。

 

それは、いつか土の中に埋めたタイムカプセルを掘り出すような、子供の頃に書いたミミズのような文字を、土だらけの指でなぞるような尊い時間なのである。

 

これからも、上手に忘れながら、前を向いて歩いていこうと思う。

 

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