「ロバを担いだ親子(The Man, the Boy, and the Donkey)」というイソップ物語をご存じだろうか。
ある男が息子とロバを引いて歩いて市場へ向かっている途中、村人が、「ロバに乗ればいいのに」と言うので、男は息子をロバの上に乗せる。
やがて道端ですれ違った友人が、「子供を甘やかしてはダメだ」と言うので、
子供をおろして、代わりに自分が乗る。
その次にやってきた女性は、「子供に歩かせて可哀そうに」と言うので、
仕方なしに子供を自分の前に乗せる。
街にたどり着くと牧師さんが、「ロバがヨロヨロして可哀そうじゃないか」と言うので、
棒にロバの手足を縛って吊るし、息子と一緒に担いで歩く。
逆さにつるされて辛そうにしていたロバはやがて暴れだし、
ついにロバは川の中に落ちて、
棒の重さで川の底に沈んでおぼれ死んでしまう、という話だ。
この物語の教訓はズバリ「すべての人に好かれるのは不可能」である。
全員の意見を聞き入れようとしていたらきりがなく、結局誰も得をしない。
東京に15年近く住んでいて、車が欲しいと思ったことは一度もないのだが、
こちらに来てから「車があったらなぁ」と思うことはたまにある。
だからといって、自転車がぴゅんぴゅん猛スピードで飛び交い、アグレッシブな運転をする人が多いダブリンで運転する気は全くない。
横断歩道で待っていても、なんでこのタイミングでこっちの信号が青になり、
そっちの信号が赤になるのか、全く理解できないうえ、
道路に描かれている線も、どこに向かっているもので、誰のものなのか全く分からない。
そもそも運転は得意な方ではなく、
自分は「運転してはならない人種」だと思っている。
実家で近くの温泉街まで運転した時、後部席に乗った母は終始絶叫していた。
先日、表の庭のために、バーク(地面に撒く木のチップ)が欲しくて、町中探し回っていた。
オンラインで注文すると送料が5千円ほどするので、
近くのハードウェアショップにないかと散歩するたびに探し回っていたのだ。
ついに、家から徒歩20分ほどのところにあるハードウェアショップでバークの袋を見つけたものの、
70Lなので、かなり重い。
10歳の子供を担ぐようなものだ。
タクシーをどうしても使いたくないという相方は、気合で肩の上に袋を乗せて歩き始めた。
かなりの力持ちである相方もさすがに、50メートル歩いては立ち止まって休み、歩いては休みを繰り返した。
ぜぇぜぇ言いながら重たい袋をかつぐ相方を横でハラハラ見ながら、ふと思った。
「傍から見ると、私が年上の夫(実際の年よりもずっと若く見えるが、相方は私よりかなり年上)をこき使っているスパルタ女に見えるに違いない」
そんなことを思いながら、申し訳ない気持ちと恥ずかしい気持ちとの狭間で葛藤していると、
ついに相方がギブアップ。
「よし、私の出番だ」とばかりに腕をまくり、袋の片方の端を持ちあげる。
「よいしょ、よいしょ」っと二人で必死に袋を運んでいると、今度は相方が
「こんな小柄な女性にこんな重たいものを持たせて酷い男だと思われるだろうな」
とつぶやく。
不思議なカップルが巨大なバークの袋をゼェゼェ言いながら運んでいるものだから、
前からやってくる人たちは、素早くササっと苦笑いしながら道を開けてくれる。
王様の気持ちが少しわかったような気がした。
徒歩20分くらいなのだが、私たちにとっては大遠征のように感じられ、
途中で休んだカフェで飲んだコーヒーはいまだかつてないほどおいしかった。
いつまでこんなことが続けられるか分からないが、
何か大きなものを購入するたびに、私たちはこうやって蟻のように、二人で力を合わせてエッチラオッチラ歩いて家まで運んでいる。
その度に、アフリカの地で、重たい食料を頭の上に乗せて歩く女性の姿とか、
いつかドキュメンタリーで見た、市場まで大量の野菜を風呂敷に包んで、背中に乗せて運ぶおばあちゃんの姿を思い出す。
車は便利で、運転できたら嬉しいが、車でただピュッと移動していたら、
途中のカフェで飲んだあの極上のコーヒーの味は、
味わえなかっただろうと思うのである。
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