最近、毎朝、朝食を作る前に一度庭に出るのだが、空気の質が明らかに変わったように思う。
一歩外へ出て空気を吸い込むと、その透明でみずみずしい香りに思わずドキリとする。
それは、どこか懐かしくもあり、幼少時代のころの思い出がおのずとよみがえってくるのであった。もしかするとあの頃の空気は、このように澄んでいたのかもしれない。
いつもより静かであるせいか、鳥の鳴き声は、まるで森の中にでもいるのではないかと錯覚するほど、あたりに美しく響き渡る。
隣の家の台所でお皿を洗う音にさえ通り道を与えるほどの静けさなのだ。
明らかに小鳥が訪問する頻度も増え、以前よりも増して庭仕事をする時間が増えた相方は、訪問者が来るたびに嬉しそうに、そっとポケットから携帯のカメラを取り出す。
このように、自然界が見事に復活していく姿を目の当たりにしながら、それをほほえましく思うと同時に、
やはり、いろいろなお芝居やパフォーマンスの中止の連続は心が痛む。
バーチャルでいろいろな試みが行われていることは素晴らしいにせよ、
あの生の感覚は何にも代えられないように思うからだ。
人間らしさ、人間臭さ、その代名詞のように、心を裸にして生きている俳優たちが——、
というより、そうすることでしか生きていけない俳優たちが
その機会を奪われてしまっては、どうしようもない。
そんな中、ふと思いつき、木下順二さんの戯曲「巨匠」を読んだ。
以前、銀座のクラブで歌を歌っていた時、そこのお店のママがこの劇を話題にしたことがあった。
「演劇にさほど精通しているわけじゃないんだけどね——」
この芝居に出演していた晩年の大滝秀治の名演技が忘れられないという。
「途中までは本当にただのお爺さんなんだけど、最後にマクベスの台詞をね、朗々と語るのよ、その迫力ったらすごいの」
と興奮気味に話した。
なぜか、あれからずっと、この話がずっと脳裏に残っていたのだが、今になってやっとこの戯曲を読むことができた。
第二次世界大戦中のナチス支配下にあるポーランドが舞台——。ドイツのサプライチェーンが爆破されたとかで、ポーランド人の「知識人」5名を殺さなければならないと、ゲシュタポがやってくる。そこに居合わせた「老人」は俳優(俳優は知識人だとみなされていた)だと言い張るが、身分証明書に書かれている職業は「簿記」。簿記は知識人ではないと、処刑対象から外されるも、老人は立ち上がり、簿記は単に生活のためであり、自分は俳優であると言い張る。そして、自分が俳優であることを証明すべく、マクベスの長台詞を「朗々」と語り始める。
俳優であることを認められた老人は、そのまま連行されるという話だ。
私にとってこの作品は、どこかグッとくるものがある。
社会の肩書とアイデンティティーが一致している幸運な人もいるかもしれないが、
何かしらの理由で、一致していない人もいて、
今のようなご時世になると、一致しない人がおのずと増えるのかもしれない。
そして、こういう表現の場が失われた時こそ、自分のアイデンティティーと向き合う時なのかもしれないし、こういう時こそ、
自分の中で燃え続ける炎を大事に、静かに守り続け、
やたらむやみに見せびらかす必要はないが、
自分の中の創造性を殺してはならないのだと思う。
あまりにも美しい鳥のさえずり声に耳を傾けていると、一刻も早くもとの生活に戻って欲しいと心から願いながらも、元の生活に戻ることに対して、一種の後ろめたさを感じざるをえない。
本当に「戻って」しまっていいのだろうかと、
思わず進もうとする脚が躊躇する。
いま、大きな分岐点に来ているように感じられて、
どうも、そのまま「元」に戻る気がしない。
過去は、今までよりも増して、「過去」と化し、さようならを告げなければならないような、
「何か」を改めなければならないような気がしている。その「何か」をじっと探るかのような、不思議な毎日を過ごしている。
だからこそ、単に自粛しているというよりは、今までの自分の生活からゆっくりと自分を切り離す儀式のような、少々痛みの伴う日々なのだ。
あの、今まで取り付かれていた「進む」という概念は、一体なんだったのだろうとふと思う。本当に、あれほどにも「進む」必要はあったのだろうか、
あんなに成功にとらわれる必要もあったのだろうかと考えてしまう。
相変わらず、スーパーでもどこでも、2メートルの距離を保つのに必死である。
道端で通り過ぎる時でさえ、神経質に2メートルをしっかりと保とうとする者もいる。
今までマスクをつけるという概念が一切なかったアイルランドでも、
最近は、ちらほらとマスクをした人達の姿が見受けられるようになった。
家から2キロ以上は移動してはならないので、道端では警察が車ひとつひとつに声をかけている。
そんな中、今日、公園の中を歩いていると、
とある若いカップルが、無邪気に「あの、写真撮ってもらえませんか?」と声をかけてくる。
人と話さない、2メートルの距離を保つというのが、当たり前になってきていたものだから一瞬びっくりしてしまったのだが、特に断る言い訳が思いつかず、
恐る恐る彼女の携帯を受け取り、
おそらく付き合って間もない初々しい二人に向かって、
「はい、チーズ」
とシャッターを切った。
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