maimaiomaiのブログ

アイルランドと日本の狭間で 言葉を解き、紡ぎなおす者として

言葉のふるさと

 

以前に、何もかもが、上手く行っていないと思い込んでいた頃のこと——。

 

神楽坂のレストランの窓辺で友人と話していると、目の前を女子高生らしき二人組が通りかかった。その制服姿と透明感が、眩しいくらいに清々しかったのを覚えている。

そんな彼女たちに見とれていると、私の視線に気が付いたのか、片方の女子がふとこちらをチラリと見た。その瞬間、すべてがスローモーションになり、なぜだか分からないが彼女と私との視線がカチッと合ったのだった。周囲の音も声も、景色も何もかも消え、二人の世界に閉じ込められたような感覚であった。

 

 

その時、彼女が向けてきた微かな笑顔につられて私の方も思わず笑顔になったのではないかと思う。

そんな彼女の笑顔を見た時、「ああ、大丈夫だ」と感じて、それまでうまくいっていなかった何もかもが、ゆっくりと溶けていった。

 

あの数秒にも満たない時間はいったいなんだったのかと、

あれは今になっても時々思い出す出来事である。

自分が高校生の時、あんなにも清々しかった記憶はないし、頭がおかしいのではないかと言われてしまいそうだが

実は、あの通りかかった女の子は若い頃の自分だったのではないかとさえ感じられたのだった。

 

 

人生には、そのような「交差」の瞬間が度々訪れるように思う。

こういった交差というのは、意外にも、ボーっとしている時に起きることが多いので、

怠惰に聞こえるかもしれないが、私は日々ボーっとする時間を大事にするよう心掛けているようなところがある。

フリーランスをしていると、こういう不思議な知恵が身に着くので、面白いなと思う。

 

待っている時は必ずと言って何も訪れないのだが、ボーっとしているとある日

突然、「ピンポーン」と、ピザの配達屋さんのように誰かがドアをノックする。

それは、大きな仕事であることもあれば、ごく小さな、ささやかなる「インスピレーション(閃き)」だったりと、様々だ。

 

でも、そのささやかなインスピレーションが、人生の舵を大きく切るようなこともあるのだから、そう馬鹿にはできない。

 

 

 

先日、NHKで仕事をしている際、局内に設置された本屋をあてもなくフラフラしていると、

井上ひさしさんの個性的な顔写真の載った表紙が視界に入った。

 

「日本語教室」という堅苦しい題名である。

 

なんだか気になってペラペラとめくってみると、

母語は、道具ではなく精神そのものである」という言葉を、

私の目がしっかりととらえたのだった。

 

ずっと探していた言葉かもしれないと、鳥肌が立った。

なんということだろう。こんなにもシンプルな文章がここまで心に響くとはとても興味深いのだが、自分が今まで抱いてきた漠然とした疑問、あるいは悶々としたものが一気に一掃されたような、曇った空が突然晴天に塗り替わったような、清々しい気分だった。

 

たちまち言葉が「剣」と化し、強さを帯び始めたような、

この剣を振りかざし、「ざまぁみろー!」と叫びたくなるような。

 

アメリカのカリフォルニア州で育った私は、昔よく(今でも時々言われるが)「ヴァリーガール(Valley Girl)」と揶揄された。

あの土地の若者独特の話し方があるのだが、私はまんまとその話し方に染まっていた。

「訛り」とか「方言」というような地に根付いたものよりも、どちらかというとトレンドというか、「話し方」や「癖」に近いように個人的には思う。

そんな話し方に染まったまま、日本に帰国し、やがて英語混じりの関西弁へと変わっていった。しかし両親は列記とした関東人であるので、なぜだか家では関東弁で話した。

そんなこんなで、自分の「声」がどこにあるのか、全く分からない時代を経て、今がある。

今はおそらく、アイルランドと日本を行き来する中で、アメリカ英語風の少々アイルランド訛りの英語になっているのではないかと予想する。

 

だからこそ、私は自分の言葉に全く自信がなかった。

自分の発する言葉なんぞ「所詮、嘘」だと思っているところがあったのだが、

最近は嬉しいことにそうでもない。

 

 

母語がしっかりしていなければ、他の言語など話せるわけがないと井上ひさしさんは言う。

しかも、母語は、母国語とは少し違う。脳みそが柔軟な赤ちゃんが、母親や周囲の人間に愛され、彼らの言葉を浴びる中ですくすくと育っていく。

その時に吸収した言葉こそが母語だと言う。

 

私の日本語はまだまだであるし、時折ヘンテコな言葉を未だに使ったりもするので、一生勉強なのだが、それでも、言葉が精神であると思うことで、自分の言葉を疑うようなことが少なくなった。

 

言葉に「帰る場所」が見つかったような気分だった。

国籍でもない、血筋でもない、育った場所でもない。

精神という名の故郷(ふるさと)である。

それは、私にとって、大きな自信となった。

 

神楽坂で目が合ったあの女の子と同じ年齢の頃の私に、何かを言うとしたら、

こんなことを言うだろうか。

しかし、きっと、あの頃の自分はきっとキョトンとしながら、あるいは、眉間にしわを寄せながら、

英語の訛りも、関西弁もなくなった私を、まるで無縁な他人のように見つめるに違いない。

 

それでも言葉というのは、「鳴り響く」ものだ。

しっかりと根拠のあることばは意味が分からなくても、音として鳴り響く。

それがしっかりと受け取る体制が整うまで、

その人の中で鳴り響き続ける。

 

もしかすると、これもまた、いつか誰かから投げられ、私が受け取りそびれて、

以来ずっと鳴り響き続けた言葉を、受け取っただけなのかもしれない。

 

 

 

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