ある日、「最近、近所にインコが出没しているらしいのよ」と近所のおばさまが言った。
目撃情報を耳にするようになったのは、今年に入ってから。
以来SNS上で野生のインコの写真が出回るようになった。
最近、ほぼ毎日小鳥さんたちの観察をしているのだが、一日でも休むと心がざわつく。ある記事によると、鳥の鳴き声と川の音には、癒しの効果があるらしい。公園へ行くと、自然と足が川の音や鳥の音へ向かうので、とても納得だ。
そんなある日、木の中でガサガサと何かが動いているのに気が付き、カメラを構えてレンズをのぞき込むと、やたら鮮やかな黄緑色をしたインコが映りこんだのであった。
「インコだ!」と私は思わず相方に向かって叫んだ。
インコは、もともとアフリカ大陸やアジア圏に生息していたらしいが、順応性が高いこともあり、今や世界各地で繁殖しているのだとか。
ダブリンに生息する多様な小鳥たちは、お互いにうまい具合に譲り合って生息しているのが分かる。鳴き声も、個々に独特でありながらぶつかり合うことなく、美しいハーモニーを奏でている。和して同ぜず、とはまさにこういうこと、と私は感動していた。
しかし、その中に響き渡るインコの甲高い鳴き声は違和感があった。
まるでクラッシック音楽の中にバリ島の激しい音楽が紛れこんでしまったような不協和音なのだ。インコが鳴きだすと、周りの小鳥たちは見事に黙ってしまう。そして、インコが静かになると、ほっとしたように、恐る恐る小鳥たちは再び鳴き始めるのであった。
やはり、外来種なのだろう。そんなインコたちを、移民である自分と照らし合わせながら、「いつか調和する日が来るのだろうか」と、少々複雑な気分で観察していた。他の鳥たちとは相性が悪そうだが、いつも仲がよさそうにカップルで行動しているのは良いことだ。やがて、他の鳥の邪魔にならないよう、大きな木の上の方に巣作りを始めた。
インコがガンガン鳴いていても、珍しい鳥たちがピーチクパーチク言っていても、ほとんどの人は気が付かない。だが、たまに私たち夫婦のように、ボーっと木の上を見上げながら彷徨う怪しげな人を見かけることがある。
「あの人もインコ目当てかな?」
「(相方)そうに違いない」
私と相方は、その人にジワジワと近づき、
「インコですか?」と声をかけてみると、「ああ、そうです、そうです。お宅もですか?」、「ええ、そうです、そうです」と会話が弾む。類は友を呼ぶ。そして、鳥好きには、良い人が多いらしい。いかに鳥が面白いかを熱く語り合った後、「じゃあ、インコ追いかけなきゃならないんで」とその人は去っていく。
鳥は姿をはっきりと見せてくれないので、ついつい追いかけたくなってしまう。「不思議の国のアリス」の白いうさぎのように、追いかけているうちにどこか穴の中に入ってしまいそうで、たまにフラフラと鳥を追いかけながらハッと我に返ることがある。
アイルランドで語り継がれる妖精は「境界線」にとても敏感で、たいてい超えてはならない「境界線」を越えてしまった時に現れると言われている。無防備で好奇心の旺盛な子供が、ふらりふらりと境界線を越えて「穴」の中にすっぽりと入り込んでしまった時に現れるのだそうだ。私も鳥たちにつられて妖精たちと鉢合わせないように気を付けなければならない。
去年のロックダウンが始まった頃は、鳥の鳴き声には耳を傾けていたものの、ここまで鳥を細かく観察したり、写真を撮ったりはしていなかった。規制が今後も続いて、私のオタク気質が加速し、さらに小さな世界に入り込んで、今度は虫の撮影をしていそうで怖い。あるいは、小さいどころか妖精などの「目に見えない世界」にまで手をだしてしまいそう。
ヨーロッパコマドリが藁のようなものを咥えて、「忙しいアピール」をして私の前を通り過ぎる。どの鳥も、巣作りに励んでいるらしい。私だって家のペンキ塗りに忙しいのよ、という具合に見返すと、そそくさと巣作りの場所へ飛んで行った。
鳥の世界に没頭していると、人間の世界が少々刺激的に思えて、たまにどこから声を出せばいいのか分からなくなる自分に驚くことがある。もうそろそろロックダウンも終わるので、人間の世界に戻る準備を整えなければならない。
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