このブログの第一号の記事で、ダブリンに拠点を置く伝統歌唱倶楽部を紹介させていただいた。40年間続いている歌唱倶楽部だ。
何気に、アイルランドと日本を行ったり来たりしながら、かれこれ1年以上この倶楽部に通っている。
毎回ここでは、味のある稀な伝統の歌が聴ける。中には、口頭伝承で伝えられてきたものだったりして、歌詞を見つけるのさえ難しい歌もあるのだ。
一人ひとりアカペラで順番に歌うという単純な会で、ルールは人が歌っている時は「聞く」——、それだけである。
年配の方たちが多く、あまりにも皆様の歌が深くて味があるものだから、自ら歌おうなどと思いもしなかったのだが、なんだか今回は、一度歌ってみるのもいいかもしれないと思えたのだった。
それというのも、今年の5月に通訳として参加した、ナディーン・ジョージさんのヴォイスのワークショップの影響が大きい。そこまで自分のアイデンティティーにこだわらなくてもいい、ただ「声に帰る」だけでいいのかもしれないと思えたのだった。
それにしても、選曲には困った。
「日本の伝統の歌って、一体なんだろう?」
色々考え抜いたのち、なぜか沖縄の「童神」を歌うことにした。
真っ先にこの歌が浮かんだのと、何より、この歌が「好き」であったし、
どこかアイルランドの方の歌に通じるものを感じたからだ。
沖縄のルーツがあるわけではないが、私なりに歌ってみよう——、
そう思ったのだった。
話は少し逸れるが、以前にスティーブ・クーニーさんというギタリストの演奏を聴いたことがある。
彼はオーストラリア出身であるのにもかかわらず、
アイルランドの伝統歌について誰よりも詳しい。
それに、アイルランド人誰もが、彼の演奏を認めるほどの腕前である。
もちろん、相当な努力をなさったのだとは思うが、ああいう人を見ると、変にアイデンティティーにこだわるのも馬鹿らしく思えてくるものだ。
ドキドキしながら相方と会場へ向かうと、幸いなことに、ホストの方が、「歌いませんか?」と声をかけてくれたのである。
心臓が飛び出そうであったが、「はい、歌います」と答えた。
あれほど、自分の「はい(Yes)」という言葉が、自分の身体に気持ちよく響いた瞬間はない。
結果、意外と落ち着いて歌えた自分がいて、周りの皆様も、非常に温かい拍手を送ってくれた。
興味深かったのは、スコットランドのヘブリディーズ諸島やドニゴール地方の歌にそっくりだという感想をいくつかいただいたことだ。
この地方では、ウールの生産地として知られ、ウールの生地を柔らかくするために、女性たち数名でテーブルの上に羊毛を叩きつける作業があるそうだ。
その時に女性たちが一緒に歌った歌があり、
それを「ウォーキング・ソング」と言うらしい。
ウォーキングとは、Walking(歩く)ではなく、Waulkingと書く。私自身も、初めて聞いた言葉だ。You Tubeで聴いてみると、ウールをテーブルに叩きつけるリズムに合わせて、女性たちが比較的高い声で「コール・アンド・レスポンス」形式で歌う。歌詞は、言葉というよりは、意味を持たない、掛け声のようなものが連なっている。
少し、ブルースに通じるものも感じた。
私が情熱的に歌いすぎたのか、「子守歌のようなものです」と説明しても、なんだかピンと来ていないようだった。
言葉が分からないと、人間の想像力は物凄い力を発揮するようだ。
そこがいつも面白い。
相手が、自分が予想すらしないようなことを想像していることが多い。
自分の歌った歌が、見知らぬ土地で、羊毛を叩きながら歌っている女性たちと繋がるとは…。
是非、いつか生で聞いてみたい。
なんといっても、自分を表現することの気持ちよさを久々に味わった。
ついつい、頭が先行してしまうことがある(私は十分ではない、歌う資格がない…などなど)。
蚊帳の外からただ眺めるのではなく、自ら開くことで、やっと人と深いところで繋がることができるのかもしれない。
当たり前のことかもしれないが、私とっては、なかなか高度なことである。
「声を出す」ことで、初めて自分が部屋の中に存在し、相手に認識され、
同時に相手が開き、お互いに繋がったような感覚であった。
人生に「喜び」というものがあるとすれば、まさにこれこそが喜びである。
終わった後に、「アリガトウ」「サヨウナラ」などと片言の日本語で挨拶してくれる人達がいた。
「是非、また来てくださいね」
今まで話したことが無かった方たちが次々に声をかけてくださった。
人生で最も大変なことがあるとすれば、それは常に「開いている」ことだと思う。
どれだけ大変であろうとも、傷つこうとも、それでも開き続けることが大切なように思う。
海外へ行くと、こんなことを毎回、再認識させてくれる。
たった一回のYesの向こう側には、観たことのない素敵な光景が待ち受けていた。
このように、涙が出るような優しさに触れることがある。
それに、その優しさに触れるか触れないかは、私次第であることが多いのだ。
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