Necessary Targets ボスニアに咲く花 無事に終演しました。
立ち会ってくださった方々、応援してくださった方々、Ova9メンバー、すべてのキャスト、スタッフさん、お手伝いに来てくれた方々、みんなに心から感謝です。
出会ってくれて、ありがとう。
この戯曲の中には、私が大好きな台詞が山ほどあるのだが、その中の一つに、
「私たちは、お互いを信頼しようと努力している」
という台詞がある。
原文にはTryingとあるけれど、この「努力」という言葉を敢えて入れているところがとても好きだ。
自然に、自然に、というけれど、自然に任せてはならないこともある。
私たちはみな、違う。
背景も、生い立ちも、宗教も、国も、性別も、人種も。
何が許せて、何が許せないのかも。
違うことの尊さを分かっていながらも、やはり私たちはその違いの溝の中から
怒りや憎しみや拒絶というようなものを無意識に引っ張りだしてしまうことがある。
そして恐ろしいことに、引っ張り出したら止まらなくなることもある。
だからこそ、相手に何かを押し付けるわけでもなく、
完全に自分を押し殺してしまうわけでもなく、
結果を求めずに、ただ、ひたすら「努力し続ける」。
そんな努力の末、ある日、ふとした瞬間に境界線が乱れ、
その乱れによってできた余白の中に風が入り込み、
その風が、何かのいたずらかのように新しい自分に出会わせてくれるのかもしれない。
翻訳やら、通訳やら、そういった仕事ばかりしてきて
日本とアメリカ、そして今は日本とアイルランドの狭間にいながら
その「境界線」の上に立つ人間として、ずっと考えてきたこと。
押し殺すことも、押し付けることも弱さ。
何歳になっても、思い切り揺れ動きながら、カッコ悪くても、フルフルと震えながら、しなやかに「変わり続ける」ということ。
自分を疑える強さ、何かを思い切り受け止めてしまいながら狼狽えられる強さ。
その「強さ」を体現しているのが、この作品の主人公であり、私が心のどこかで憧れてきた人物なのかもしれない。
本当に強いとはどういうことか。そんなことをずっと考えてきた私にとって、
この作品を上演できたことは、とても意味のあることだった。
ダブリンに行き着けのカフェがある。
フランスのブルターニュ地方の料理を売りにしたカフェだ。
そこで、毎日働いている女性。
身重で、おそらく、6か月は過ぎている。
そんな中、てきぱきと台所とホールを行き来する。
フランス語訛りの英語を話す彼女は、つい最近ダブリンに引っ越してきたのだろうかと色々と想像を膨らませながら——
働いている間、その張り裂けんばかりの笑顔を一瞬たりとも失わない。
決してあぐらをかかない、世の中に対する凛とした彼女の姿勢に、
背筋がピンと伸びるのだった。
私も頑張ろう。
さて。次は、どんな作品に、心を奪われてしまうのだろう。
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