当然のことながら、アイルランドの北の国境を超えると、そこはイギリス領になる。
バスも電車も普通に行き来し、パスポートを提示する必要もないが、
やはりその国境を通過すれば、私の相方の携帯の電波は途絶え、通貨は€から£になる。
景色が劇的に変わるというわけでもない。やはり、私たち日本人にとって、この「国境」という概念は、なかなかなじみのないものなのかもしれない。
少なくとも、私にとっては。
国境を超えても、長閑な牧場の景色が永遠に続く。
私たちはダブリンから出ている北アイルランド行きのバスに飛び乗る。一人、片道20€程度。
ネット上でバスの発車時間を確認してきたのだが、バス停についてみると、時間が全く違ううえ、バス停のスタッフ誰に聞いても違う答えが返ってくる始末。
観光地嫌いな私たちは、少しマイナーな、アーマー(Armagh)という街へ行くことにした。
国境を超えてしばらくすると、何やらチラホラと、住宅地の中にイギリスの旗とアイルランドの旗が靡いている。
これは、なんなのだろうか。
もうイギリスなのに、アイルランドの旗をなびかせ、
もうイギリスなのに、イギリスの旗をなびかせる。どういうことだろう。
ここはかつて、数十年前に北アイルランド紛争があった土地。プロテスタントとカトリックとの対立。プロテスタントが高官職(高給職)を牛耳っていた当時、貧富の差による不満が、紛争の引き金となったそうだ。
「未だにああいう旗を見ると反射的に身の危険を感じてしまう」
紛争時代を経験している相方さんがポロリと窓の外を見ながら言う。
大体見た目や服装でプロテスタントかカトリックかが分かると言うのだが、本当だろうか。
じっと細く目を凝らしてみても、私には全く分からない。
しかし、降り立ったアーマーという街は、この上なく人懐っこい街であった。言葉は北の訛りが強く、全神経を集中しなければ、なかなか聞き取れない。
片方の高台にプロテスタント教会、もう一つの高台にカトリック教会が堂々と立ち、お互いに向き合いながら睨めっこしている。坂の多い街で、教会の高台に登れば、街を一望することができる。ここは、かの有名な聖パトリックが初めて教会を建てた場所。
街の図書館には、ジョナサン・スウィフトの「ガリバー旅行記」の直筆入りの初版が保管されている。私はこの小説を読んだことがないのだが、小説の中に出てくる場所はすべて架空なのに、一つだけ架空でない実在の場所が出てくるらしい。
それが、「日本」だそうだ。
そんなことを、私を日本人と察したのであろう品のある司書が丁寧に説明してくれた。
プロテスタント教会も、カトリック教会も、非常に見応えのある立派な建物であった。どちらかというとプロテスタントの教会の方が色もデザインも質素で、一方、カトリックの教会は、装飾が華やで壮大だった。
ランニング帰りに「祈りを捧げに」教会に立ち寄ったという少年とすれ違う。
次の日の朝、街を散歩していると、また同じ少年に出くわし、爽やかな笑顔を向けて颯爽と通り過ぎて行った。
泊まった「7Houses」というB&Bのお喋り好きで人懐っこいオーナーのロジャーさんは、朝ご飯を食べに目の前のカフェに入ると、エプロンを付けてせっせと卵焼きを焼いている。「3つくらい仕事を掛け持ちしているんだ」と笑いながら話す。
人が少ないこの街でB&Bの経営は大変だが、この街が好きだという。
お腹いっぱいの朝ご飯を食べた後、「おかわりはどう?」とお皿を下げながら、いたずらそうな顔で笑う。
そして、なぜか街の裁判所を見学し、ついでに傍聴までしてしまった。
法廷内の壁にある扉の数にビックリした。バタバタと扉が開いたり閉じたりして、弁護士や検事がせわしなく出たり入ったりしている中、被告人が被告席でうつむき加減に立っている。
そういえば、その少し前に見た女性版「ハムレット」のステージデザインにそっくりであった。
あれは、これを参考にしたのだろうか。
街の博物館や記念館などは全て無料だけれど、とても見応えのあるものだった。博物館では、女性の服を時代ごとに展示。段々、女性が解放されていく様が、分かりやすく伝わった。
この街を一言で表せと言われても、なかなか言い表せないほど、特別何があるというわけでもない。しかし私は、何の変哲もない街を訪れるのが好きだったりする。
そこに住む人懐っこさに、とても心が和み、一種のなつかしさを覚えた。
帰りバスを待っていると、小学生のような子たちが本数の少ないバスを待っている。
そして1時間ほどかけて、かなりの距離を隔てたそれぞれの停車場で降りていった。
帰り、外は真っ暗であった。国境を超えたことなど気づかずにバスの中で爆睡していた。
そのうちに再び£は€へ戻り、私の相方さんの携帯には、電波が戻ってきた。