最近では、こちらの人の訛りを聞いて、西の人なのか、南の人なのか、東の人なのか、北の人なのか、少しずつ分かるようになってきた。
アイルランドには本当に訛りが豊富なので、聞いていて楽しい。まるで音楽のようである。
地域によっても、そして階級によっても、まるで話し方が違う。
ディングルの撮影現場では、スタッフさんやキャストさんの出身地がバラバラであったので、滞在していた家では、あらゆる「音」が飛び交っていた。
私は本来かなりの人見知りなのだが、一つ屋根の下で生活すれば(撮影中、キャストさんと同じ家をシェアしていた)、個々の部屋があったとしても、食事の際には顔を合わせるので、嫌でも会話を交わすことになる。
基本、引っ込み思案の私にとっては、大変良い環境であった。
ある朝、朝食の時に、私のお気に入りのダブリンを拠点にしている歌唱倶楽部(一番目のブログ『ダブリンの伝統歌唱倶楽部』に記載)のことを話すと、キャストの女優さんがたいそう喜んだ。
アイルランドの民謡は、「上手く歌い上げる」ものでは決してなく、どちらかというと、語るように歌う。だからこそすべてが露わになるというか、「小手先のもの」は全く通用しない。血や魂などから湧き出るような、地を代弁する歌だ。
だからこそ、下手に「真似」ができない。まるで、真似が禁じられているかのように、
その地と繋がらなくては、成立しない何かがある。
こちらの女性の声は、丘や野原の肌を舐めながら颯爽と吹き付ける風のような印象がある。黒人霊歌やアメリカのブルースが地の底から溢れ出るものであるとすれば、こちらの「声」は、空気を多く含み、風のように軽やかに吹き抜ける。
そんなことを彼女に話すと、嬉しそうに、
「そうね。シャンノース(アイルランド民謡)は、たまに私たちでも分からないような曖昧な言葉が出てくるのよ。
意味は分からないのだけど、身体のどこかにピタリと引っ付く感じがあるのよね」
そうだ。この国には、そういう理屈では到底説明できないようなものが、まだ根強く残っている。
所謂「洗練された」セオリーとは相いれない、何か原始的なもの。
「頭では理解できなくても体に響く」
そういう言葉使いをまさに私は目指しているので聞いていて嬉しくなった。
ディングルにあるとある老舗の本屋さんに入ると、狭い空間に本が雑多に積まれている。オーナーのおじさまは、入店した私たちに構わず永遠にアイルランド語で電話に向かって話している。
店内には、思わず次から次へと手を伸ばしてしまうような素敵な本が沢山並べられている。アルファベット順でもない。ジャンル別でもない。
しかし、その「雑多」な感じが、むしろ心をくすぐるのであった。
奥には「カフェ」という看板があるのだが、夏のハイシーズンにだけ開店しているのか、今回は物置のような状態になっていた。
ディングルで滞在していた家は、スタッフやキャストが常に出入りをするため、常にドアのカギを開けたままであった。最初は気になって仕方が無かったが、この街に打ち解けていくごとに、だんだん気にならなくなっていく。
滞在1週間後には、私の心は随分と軽くなっていた。
店員さんとも軽やかに会話を交わし、通りすがりの見知らぬ人とあいさつを交わす。
スタッフもキャストさんも、涙が出るほど優しく親切で、わが身を振り返るとても良い機会となった。
帰り、ディングルの近くの街でバスに乗る直前、シャワーのような雨に降られた。アイルランドの天気はきまぐれで有名だが、西へ来るとそれがさらに顕著に感じられた。
太陽が少し降り注ぐ中、雨も一緒に微かに降り注ぐ。
相方がその時、「あ、虹の気配がする」とポロリ。
そのままバスへ乗り込み、ふと外へ眼をやると、少し恐ろしくなるほどギラギラとした強烈な虹が目の前に現れた。
少々荒いバスの運転に揺られながらダブリンに到着し、そのままダブリン訛り丸出しのタクシーの運ちゃんの話を聞きながら無事に帰宅。
その時は既に、真夜中に近い時間だった。
玄関を開け、疲れた重い体を引きずるように家の中に入ると、何か家の中の空気がいつもと違う。
ふと部屋の電気をつけると、階段やキッチンに向けて、泥の足跡がそこらじゅうに散らばっている。
これにはさすがに驚いてしまい、ベタに「オーマイガッド」が口から洩れた。
裏のドアは開けられ、表の窓が巧みに開けられている。
しかし、急いでいたのか、特に何も盗まずにそそくさと出ていったご様子。
「土足で踏み入る」という言葉があるけれど、まさにこういうことなのかなと思う。ディングルで鍵を開けたまま過ごし、それにつられて私の心の鍵までもが開きっぱなしになっていたものだから、思わず隙をつかれたような、なんとも複雑な気分になった。
一瞬、心臓が止まりそうになったものの、意外にも冷静な自分がいた。
もちろん相方さんがいたというのもあるけれど、私たちは、とにかく「足跡」を消したくて何事もなかったように、せっせと掃除をし始めた。
何も壊されていないし、盗まれてもいないので、疲れ果てていた私たちは通報せずに普通に寝てしまった。
次の日には警察にお電話。直接交番に出向かなければならないとのことで、交番まで行くと、その日のうちに警察がうちに来てくれた。
指紋は見つからなかったが、あらゆる空き巣のケースを冷静に警察の方が淡々と話してくださった。中には、屋根に穴を開けて入ってくるケースもあるらしい。
相方の友人さんは、数週間家を空けている際に、強盗に家に1週間ほど住まれたこともあるそうで、それに比べたら可愛い方だ。
やはり、部屋というのは、開けたり閉めたりしなくてはならないのかもしれない。
できるだけ開いていたいものだが、
時に、このようにして土足で入ってくるような侵入者もいるのだから、
多少の「用心」も必要である。