maimaiomaiのブログ

アイルランドと日本の狭間で 言葉を解き、紡ぎなおす者として

傷は当たりまえのように

 

ヨーロッパコマドリがいつもとは違う歌を歌っている。

 

ヨーロッパコマドリは冬の間も歌い続ける稀な鳥である。

去年の春頃に見事な歌声を披露していたミソサザイはまだ静かだが、

我が家の庭の石垣を、マウスのようにちょろちょろと移動している。

そのうち、ヨーロッパコマドリから歌のバトンを渡されたらまた、

あの小さい身体でめいっぱい歌を歌い始めるのだろう。

 

 

公園の芝生には、ひそかに水仙がエッチラオッチラと背を伸ばしている。去年は、あの見事な白や黄色の花を咲かせてからしか存在に気付かなかった。

長い、長いロックダウンの間、じっくりと着実に進む時間を経験して、

物事の着眼点が変化したのかもしれない。

 

欧米の国の多くがそうなのかもしれないが、アイルランドでは、一部の大スターを覗いて、どの仕事でも俳優はオーディションを受けなければならない。そのオーディションも、ロックダウン中は、俳優が自ら面接会場へ赴くのではなく、すべて「セルフテープ」(自宅で自分が演技しているところを撮影すること)に切り替わった。

 

そこで、私の出番である。

 

 

オーディションには必ず、ビデオカメラの真横で相手役の台詞を読む「リーダー(読む人、の意味)」がいる。

 

まだ東京にいた頃、何度かこの「リーダー」役を担ったことがあった。

 

単純に英語が話せたから声をかけていただいたのだと思うが、何十名という俳優さんを相手に、繊細に相手に反応しながら、相手の邪魔にならないように台詞を読む作業はひどく神経を使い、終わった後は毎回脳みそが完全に停止していたのを覚えている。

 

そういう経験もあって、なんとなくだが、そのやり方を知っていたし、

回を重ねるごとに、大体どういったことが俳優に求められるのかが分かるようになっていった。

ロックダウン中にあまりに相方のセルフテープの機会が増えたので、カメラに合わせて三脚まで買ってしまった(台本を片手に持っているので、読みながらカメラを構え続けるのは辛いため)。

 

もともと写真が好きなのもあり、

カメラ映りのいい相方を撮影するのはとても楽しいし、色んな台本が読めるのもいい。

それに、「こういう役だから、もっとこうしたらどうか、ああしたらどうか」と相方と話し合う時間も、有意義なのだ。

 

最終面接もZOOMで行われるため、相方が監督やキャスティングディレクターから指示を受けながらスクリーンの前で演じている間、私は画面に映らないように相方の表情を撮影しながら相手役の台詞を読み、その映像を、さらに先方にwetransfer経由で送らなければならない。結構大変な作業なので、一人暮らしの俳優はさぞかし大変だろうと思う。

 

 

改めて、俳優の無防備さを思う。

 

繊細な生き物なのに、わけもなく否定される。

もちろん、その分、見返りも大きい仕事なのだろうが、たまにその理不尽さに胸が痛むことがある。

身体が商売道具である俳優。時に自分の存在そのものが否定されているように思えて、私自身は辛すぎて続かなかったが、

気が付けばまた俳優のパートナーと共に、

その理不尽さに、その予想外なご褒美に、いちいち一喜一憂している。

 

知名度でもギャラの高さでもない、成功しているかしていないかでもない。「この役をこの人に演じさせたら右に出る者はいない」と言わしめる役に出会うことこそ、俳優の醍醐味だと私の恩師が言っていた。

そんなことを、ふと思い出す。

 

今でも翻訳を通して相方を通して演劇に触れているのは、やはり演劇が好きなのかもしれない。

 

春の気配を感じながら、新たな創造力が内に芽生える。

3月までレベル5のロックダウンは続く予定だ。

ミソサザイがヨーロッパコマドリからバトンを受け取って歌い始める頃には、私も何か外へ向けて表現できるように、がんばらなければならない。それに伴う傷は、当たり前のように、恐れずに。

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