Hidden in plain sightという言葉がある。
「ありふれた風景の中に溶け込んでいる」という意味だ。
アイルランドに生育する小鳥たちは、まさにこの言葉がぴったりである。
あまりにも自然に風景に溶け込んでいるので、神経を研ぎ澄ませなければ見逃してしまうし、聞き逃してしまう。
ヨーロッパコマドリは、孤高の俳人のように優雅に生垣の中で歌う。
群れるのが好きなゴシキヒワはおしゃべり好きな掃除婦のよう。
アオガラは、子笛のように甲高い声で歌い、
ズアオアトリは、高らかに歌った後に痰が絡むようなオッサンのような音を出す。
マウスのように小さいミソサザイは、見かけによらず築地のマグロ競りのような鋭い鳴き声を披露する。
コマドリの歌声が聞こえてくると、その歌声を追いかけるのだが、最初はなかなか見つからない。
だが歌声につられて長い間ふらふら彷徨っていると、楽しそうに歌うコマドリの姿が突然パッと目の前に現れる。
小鳥たちの世界は、踏み入れるまで、というより、目が慣れるまで少しばかり時間がかかる。
しかし、一度踏み入れると、一気に世界が広がって、あちこちから小鳥たちが視界に飛び込んでくるのである。
これは、今まで体験したことのない、アイルランドに来て初めて体験した感覚だ。
こちらで妖精の物語が盛んであるのも納得できる。
アイルランドには、人間と自然の境目に位置するような、不思議な空間がそこらじゅうに漂っているように感じる。
アイルランドには妖精にまつわる物語が沢山あるのだが、一つ興味深い伝説がある。
19世紀末、アイルランドのティパレアリーに、ブリジット・クレアリーという女性がいた。
当時、手に負えない女性は、妖精によって身代わり(チェンジリング)に差し替えられたのではないかと噂された。
ブリジット・クレアリーは、歯に衣を着せぬタイプの女性だった。
しかも、夫との間になかなか子供を授からなかったので、
やがてブリジットに関するよからぬ噂が村中に広まるようになっていった。
そんな中、ブリジットは気管支炎を患い、何日間も寝込み、食事も拒み、
あまりの辛さに短気になり、人格までも変わってしまった。
不思議に思った夫は、やはり自分の妻は生まれた頃に妖精に誘拐されたに違いないと確信し、迷信通りブリジットを暖炉の火であぶった。
そうすれば、「本物のブリジット」が戻ってくると心から信じたのである。
夫は「妖精の砦」で「本物のブリジット」が灰色の馬に乗って戻ってくるのを待ったが、何日待ってもブリジットが戻ってくることはなく、結局夫は逮捕された、という話である。
ブリジットは、今でいう「わきまえない」女だったのかもしれない。
私は、二歳の時に、カリフォルニアのショッピングモールで一瞬だけ行方不明になったことがある。
母がお会計しながらちょっと目を離した隙に、私は乳母車から姿を消した。
結局、無事に見つかったのだが、
私は今でもたまに、あの空白の1-2時間、一体何をしていたのだろうと考えることがある。
もしかしたら、妖精たちに連れ去られそうになったのかもしれない。
「こいつは、わきまえない女になりそうだ、連れ去ってしまおう、うっへっへ」などと妖精たちの間で噂されていたかもしれない。
もちろん、そんなことは冗談なのだが、
私は自然界と人間界の間にある不思議な「空間」の中で小鳥のさえずりに耳を傾けながら、妖精の原点のようなものを想像していた。
周りを行き来する人達は会話に夢中で、鳥たちの存在に全く気付いていない。
まるで、鳥の世界に夢中になっている私と相方が「あちら」の世界にすっぽりと入り込んでしまったような感覚に陥ることが多々ある。
アイルランドでは最近、かつて未婚の母が収容されていた母子施設で起こった虐待や、母子への非道な扱いが問題になっている。
手に負えないとは、わきまえない、とはどういう意味だろう。
気を抜くと、ついつい余計なことを口走ってしまう私は、たまにこうやって自然界と人間界のはざまに逃れて鳥たちの声に耳を傾ける。
すると、妙に落ち着くようなところがあるのだ。
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