maimaiomaiのブログ

アイルランドと日本の狭間で 言葉を解き、紡ぎなおす者として

墓碑に刻まれた言葉

詩人ウィリアム・バトラー・イェイツは、ダブリン生まれだが、南仏で死に、アイルランドのスライゴ―に埋葬されることを強く希望した。劇作家ブライアン・フリールは、生まれは北アイルランドだが、自身がこよなく愛したアイルランド西海岸のドニゴールに埋葬された。

思えば、生まれる場所は選べないが、納骨または埋葬される場所は選べるのだ。

カトリック大国のアイルランドでも、最近は火葬を希望する人が増えているそうだ。昔は、遺体をそのまま埋葬するのが一般的だった。

「土の中で、そのまま眠るのって、寒そうじゃない?だったら、火で燃えた方が温かそうだわ」

義理のお姉さんが、先日のお葬式でそうおっしゃった。そういわれてみれば、私もどちらかというと、火で燃えて、その熱で空を舞う方がいい。アイルランドの土の中に眠る、無数の魂を想うと、不思議な気持ちになった。

先日、相方の妹さんのお葬式があった。いろいろと事情があり、私は一度も会ったことがない。彼女は南部の街コーク市出身だが、リムリックという街の男子校で40年以上教師を務めた。決して治安が良いとは言えない街で、思春期の男の子たちを教えるのは、さぞかし大変だったかと思うが、お葬式には、夏休みなのにもかかわらず、教え子だった男子生徒たちがビシっと制服を着て参列していた。

彼らの姿を見て、彼女の生きざまを理解し、背筋が伸びる思いだった。

生涯独身を貫き、リムリックという街で教育に人生を捧げた。だからこそ、葬儀も故郷のコーク市ではなく、リムリックでとり行われた。

アメリカで生まれ、日本で思春期を過ごし、アイルランドに相方がいる私は、海に灰を撒くのが一番いいかもしれないな、などと思った。

いつも思うことだが、棺を担ぎながら静かに行進する男性陣の姿、教会に響き渡る聖歌など、カトリック教徒の葬儀は美しい。神父さんのお話の間、ひざまずく瞬間が何度もあり、カトリック教徒ではない私にとって、ひざまずいて祈るという行為は、どうもぎこちなく、嘘をついているようで、いつも申し訳ない気持ちになるのだった。しかし、他の人がひざまずいて祈っているときに、一人だけぼーっと椅子に座っているわけにもいかない。相方には、従妹が無数にいて、お葬式に出席するたび、名前を覚えるのに必死である。「こんにちは、●●の従妹です」と繰り返し言われ、葬儀が終った頃には、誰に何を話したのかさえ覚えていなかった。

ウィリアム・バトラー・イェイツの墓碑に刻まれた碑文は以下の通り。

「生と死に、冷めたまなざしを。

馬の上の君、速やかに立ち去れ!」

人生悔いのないよう、精一杯生きなければと、

背中を押していただいたような、葬儀であった。

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