maimaiomaiのブログ

アイルランドと日本の狭間で 言葉を解き、紡ぎなおす者として

劇場支配人の猫

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「作家の言葉をどれだけ吸収しても、常に新たな言葉を受け入れる余裕を持つ劇場の懐の深さ」

 

とは、かつて通訳でご一緒させていただいた演出家ルティ・カネルさんの言葉だ。

いつだったか、客席に座り、劇場の客電が落ちて劇がはじまるのを待つ間、妙に心が落ち着いた瞬間があった。「私は前世、劇場支配人の猫だったのかもしれない」ーーそんなことを思った。開場前、上手にあるお気に入りのバルコニー席の脚に尻尾を絡ませて、ゲネプロをニヤニヤしながら見ていたに違いない。そう、開場直前に、私は掃除係のスキを狙って、身体を席にすりすりさせ、自慢の黒い毛をすり込ませる。そうやって、そこに座った貴婦人の高そうなスカートに毛がつくのを見て楽しんでいたに違いない。最近、あの日の妄想が、今までになく腑に落ちはじめている。

 

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新たに始まるプロジェクトに向けて、先日、とある演出家さんによる演劇ワークショップを見学させていただいた。独自の演劇手法を何十年にもわたり確立してきた、創造性をとても大事にしながら生きている素敵な女性だ。

 

以前読んだ村上春樹河合隼雄の対談本に、物語の持つ癒しの力について書かれていたのを覚えている。その対談が、ワークショップ中にふとよみがえる。役者たちが、想像上の物体を身体的に探りながら、どこからともなく、物語が次から次へと産みだされていく。それは、自身の記憶や体験となにかしらつながっているのかもしれないが、あくまでも、その場で想像から生まれた完全なるフィクションである。

 

私たちの細胞の中に物語が眠っているとしか思えないほど、瞬間に身を委ねれば委ねるほど、役者の身体から物語が次々に産まれていった。身体の皮膚から、蝶々がはばたくような光景だった。誰もが、物語を伝えたいという欲求を抱えていて、ふとした隙に細胞の蓋があき、物語が昇華されていくのかもしれない。そしてそれは、人間が生きていくうえで、とても必要な癒しであるように思えた。

 

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若者たちの漲るようなエネルギーと想像力、演出家である彼女のパッション。そんな瞬間を目の当たりにして、コロナ禍で無意識に封じていたものが一気に解き放たれた。メンターシップ・プログラム奨学金の一環としていただいているトラベル・グラントの使い道を悩みに悩んだ末、重い腰を上げ、演劇祭への飛行機をぽちりと予約した。二年半ぶりの飛行機。まだ何かと気が抜けない世の中だが、そのボタン一つで、心が大きく前のめりになった。

 

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アイルランドでは、マスクを脱ぎ捨てた瞬間、ソーシャルディスタンスなど、もはや忘却の彼方。先日観劇したゲート劇場の『勝負の終わり』(サミュエル・ベケット作)は連日満席。ロビーでお酒を飲む人々、会場に響き渡る笑い声、会場内の熱気。劇場の客席にすっぽりと体をうずめながら、劇の最後、静かに、静かに照明がゆっくりと落ちていく間、思わずため息が漏れ、ベケットに手を合わせた。

 

やっぱり私の前世は、劇場支配人の猫であったにちがいない。

暗転になるとともに、私のささやかな妄想が確信に変わった。

 

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