相方のお知り合いの女優さんからいただいたヒマワリの種を何気なく撒いたら、
みるみると育ち、竹と同じくらいの高さまで伸びてしまった。
今は、庭の塀よりもさらに高くなり、頭を突き出して、
近所を双眼鏡を持ってパトロールするお巡りさんのようだ。
あんな小さい種からこんなものが育つなんて、
一体何を食べて生きているんだろうと、自然の不思議にただただ圧倒されてしまう。
例年より寒い夏なのでちゃんと咲くか心配していたのだが、
今は、そんな心配を吹き飛ばすほどの見事な花を咲かせている。
一番最初に咲いた花は、徐々に老いていき、花ビラもしおれ、種がぎっしりと敷き詰められた重い頭を前へ、前へ垂らすようになった。
まるで人の人生を見ているかのようで、感慨深い。
もうすぐ、種を収穫する季節だ。今から楽しみで仕方がない。
相方は、このヒマワリをたいそう気に入ったようで、
毎朝起きると二階の部屋の窓からボーっとそのひまわりを眺めている。
数分間なんの音もしないので、倒れているんじゃないかと心配になって部屋を覗くと、
相変わらず同じように、窓の前でボーっと立ち尽くし、ひまわりに見とれている。
どうやら、相当好きらしい。
「相当好きなんだね」というと、「うん。すばらしい……」と目をキラキラさせて言う。
育てる場所がないからと言って、ひまわりの苗を一つ近所の方に譲ったのだが、
相方は、なにかと理由をつけて、そのひまわりが無事かどうかこっそり見に行く。
あまりに何度も相方が覗きにいくので、その近所の方も、相方が家の前に来るとすかさず
「ちゃんと育ってるわよ」
とニコリとしながらひまわりが無事であることを報告するようになった。
嵐がやってきた日も、相方は縄やひもなどで必死にひまわりの茎を塀などに縛り付けていた。
難破しそうな船の上で雨に打たれながら
帆を上げる船長のようで、なんともおかしな風景だった。
「こういうシーン、何かの映画で見た気がする……」と映画の題名を思い出しながら、
ヒマワリと格闘する相方の姿を部屋の中から眺めていた。
そして次の朝、嵐を生き延びたひまわりたちを、
またボーっと見ながら満足げな笑みを浮かべるのである。
ダブリンは第二波到来で、さらに規制が強化され、周りがピリピリとしているが、
毎日空に広がるさみし気な秋空がなんともきれいで、
私自身は穏やかな気持ちでいる。
しかし、街中では「変な人」が増えた気がする。
やはり、このコロナ禍でストレスが溜まっているのだろうか。
東京に住んでいた頃は、ドレッドの友人が警察に止められて所持品検査を強いられた、などという話をよく聞いたものだが、こちらではドレッドとかそういう次元ではなく、
明らかに目がイってしまっていて挙動不審な人がそこらじゅうにウロウロしている。
私がもし警察ならば、もうすでに数十名逮捕しているだろう。
改めて日本は平和だなと思う。
こういったことも、徐々に慣れていくといいと思っている。
我が家は、築100年ほどなのだが、
前々からバスルームの壁のタイルを修理したいと思っていた。
二か月ほど前にタイル職人さんを家に呼び、見積もりを送ると言われていたのだが、なかなか来ず、
しびれを切らし、電話をしたら、「忘れていたので、もう一度バスルームを見せてくれ」、というので、その日一日ずっと待っていたのだが……結局来なかった。
メールをしても返事もない。
「来ないっんかーい!」と思わず突っ込みたくなったのだが、
こちらではこういうことが日常茶飯事である。
移民局からビザの返事が全くなかったりと、
そういったストレスが積もりに積もってついに噴火してしまったのだが、
枕にひれ伏して「うぅ…うぅ…」と泣く私を見かねて
相方が新しくタイル職人さんに電話してくれた。
そして先日、やっとタイル職人さんが来てくれたのである。
当たり前のことなのにもかかわらず、
そのタイル職人さんが家に入ってきたとき、彼が後光の差す天使に見えた。
ちなみにそのタイル職人さんは、六時に来ると言って、四時半に来た。
まぁ、別にいいのだが。
こちらでは、どうやら約束が約束ではないらしい。
たまにびっくりして倒れそうになるが、人間らしいと言えば人間らしいし、
あの人は時間通りに来るとか、真面目さでやたら人が評価される日本とは全く違うところを見ると、それも、なかなか面白いかもしれないとも思えてくるのだった。
徐々に慣れていくといいなと思っている。
こちらの家は、たまに床が傾いていたりする。
日本ではあまり見たことが無い傾き具合で、「あれ、めまい?」と思ったら床が傾いているということがよくある。
地震大国日本から来た者としては、ちょっとゾゾっともするのだが、
家によってはそういう「手作り」の跡がところどころに見受けられて、ホっとしたりもする。
というのも、新しく建てられた家やアパートは、モダンで確かに「きれい」ではあるのだが、
タイルも模様も何もかも、なんだかみんな一緒で個性がないし味気が無い。
なんだって、少しくらい「隙」がある方がいいと私は思う。
家には、古い羊毛の毛布やら、やたらアンティークなものがクローゼットの奥に眠っていたりして、
たまに気が向いて整理をすると、いろんなものが出てくる。
そういった古いものを生かしながら、うまく繕いながら、
心地よい空間を作れたらいいなと漠然とした計画が私の中で沸々と膨れ上がっていく。
蓄積された何十年分もの埃を吹き払って、
モノを生き返らせる作業は、なんとも楽しい。
何はともあれ、
よくも悪くも、アイルランドの「人間らしさ」に鍛えられているなと感じる今日この頃なのだ。
Unauthorized copying of images strictly prohibited.