12月のダブリンは、朝9時か10時頃に日が昇り、4時過ぎにはもう暗くなってしまう。
日が短いので、太陽好きな私は、きっとウツになるに違いないと、かなり心構えをしてきたのだが、
いざ来てみると、この薄暗さが逆に独特な雰囲気を醸し出していて、
思いのほか好感が持てたのだった。
暗い中で光るお店の電飾や、家々の窓の中に微かに見えるツリー。
しとしとと雨が降りしきるなか、暗い街中を練り歩いた後、
やっとたどり着いたカフェやらパブやら肉屋さんに入った時の安堵感は、
なんとも表現しがたいものがあるし、
凍てつく寒さの中、暖炉で起こす火は、
身体の芯まで温めてくれる。
東京の街を彩るあの力みのある(失礼)イルミネーションとは違う、
自然派生的な温かい光が、街を包み込む。
少しまだらで、ところどころに突っ込みどころがあるのがいい。
路上では若者が小銭の入ったバケツをジャカジャカと鳴らしている。
チャリティー団体のボランティアだそうだ。
23日は買い物客で街が最高潮ににぎわうが、24日なると、
打って変わって街は静寂に包まれる。
唯一開いていたカフェに入ると、「もう4時には閉めるよ。開けていても商売にならないからね」と愛想のよいお兄ちゃんが苦笑いする。
何度も訪れているダブリンだが、今回のダブリンの景色は、いつもと少し違う。
この土地でこれから生きていくのだという覚悟が
見慣れた景色に違う色味を与えているのかもしれないが、
どこか遠かったいつもの景色が少しばかり、自分に近づいた感じがした。
24日の夜は、町中にある教会へ、ミサへ参加することにした。
以前、プロテスタントの教会のサービスは参加したことがあるのだが、
カトリック教徒のミサは初めてである。
地元では有名だという、伝統的な聖歌隊の歌から始まった。
何気に、アメリカで育ったので、こういったキャロルに聞き覚えがあった。
昔、クリスマス・シーズンになると、ディズニーから発売されたクリスマス・キャロルのテープを擦り切れるまで聴いた覚えがある。
だからか、全員が起立し、その聞き慣れた歌を一斉に歌った時は、涙が出そうになった。
歌詞カードを見ずに一字一句歌えた自分には驚いた。
人種も様々であった。
地元人らしき人達、インド系の人達、アジア系の人達、本当に色んな人が、
クリスマス・イヴに、この教会に吸い込まれるようにして集まった。
私は、正直、キリスト教のことはよくわからないので、
蚊帳の外で傍観できるのかと思っていたが、
ミサの途中で、周りの人達に握手をして、「May peace be with you」と言い合う場面があり、
私の身体が思わず硬直した。
それまで歌などは歌っていたが、どちらかというと他人事のように傍観していたのが、突然、周りの人達と握手をし、相手の幸せを願うことで、
何かの境界線を越えて
一気に傍観者から当事者へ、他人事から私事に変化したのだった。
なんの心の準備もしていなかったので、少しびっくりしたものの、
見知らぬ人と握手をし、相手の幸せを願うというのは、
いざやってみると、不思議な心地よさがあり、一気に隣の方との距離が縮まった。
さすがに、土足で踏み込んでいるような気がしたので、
キリストの体をいただくという聖体祭儀には参加しなかったが、
クリスマスというものを、少しばかり理解できた気がした。
「今日は、クリスマスだから」
そういう、素敵な言い訳が街中に飛び交う。
そんな風潮が我が家にも侵入し、
少しばかり肩の力が抜ける。
相方が拾ってきた木の枝や葉っぱでリースを作り、
暖炉の前で家族へのプレゼントを包装紙で包み、
いつもよりも、少しだけ料理に力を入れてみる。
そんなダブリンで初めての、ささやかなクリスマスだった。
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