maimaiomaiのブログ

アイルランドと日本の狭間で 言葉を解き、紡ぎなおす者として

空白

どちらかというと、ペットや動物にはあまり縁のない人生を送ってきた。

一度、ハムスターと金魚を飼ったことがあるけれど、それくらいである。カリフォルニアに住んでいた頃は、アライグマが屋根の上に住んでいた。時々夜になると巨大なネズミのような風貌をしたオポッサムが庭をふらついていた。しかし、どちらも飼っていたわけではないので、一定の距離があった。

自分の身の丈に合わないような任務が重なった。私には無理です、と言える隙もなかったので、やり抜くしかなかったのだが、こうやって時々無理やりつま先立ちをしながら人は成長していくのかもしれない。あらゆる勝負時を乗り越えて、しばし一休み。

相方の映画の撮影に便乗し、ディングル半島へやってきた。オフシーズンの観光地に行くのが好きだったりする。観光客の「不在」に、ゆったりと浸るのがいい。雨宿りのために寄ったお土産屋はガランとしていて、雨のざぁざぁという音が鳴り響く。そんなときの店主との他愛ない会話は、どこか趣がある。

以前ブログにも書いたが、ディングルには、ファンギーという名物イルカがいて、何十年も観光客を楽しませていた。しかし二年前、ちょうど一回目のロックダウンが終った頃に突然姿を消した。ニュース記事では読んでいたが、真相を確かめるために土産屋の店主に伺ってみたところ、確かにファンギーは二年前に姿を消したそうだ。

もうかなり年だったそうだから、大往生で亡くなったのだろう、とか、遅咲きでついに真実の愛に目覚め、運命のお相手とどこか違う場所へ愛の巣を作りに行ったのだとか、あらゆる憶測が飛び交ったそう。

思えば民話なんていうのは、真相がつかめない、誰かが残していった「空白」からおのずと湧くものなのかもしれない。

いずれにせよ、ファンギーの失踪は、ディングルの人々の心に大きな穴を空けたようである。

私自身も、四年ほど前にファンギーを見たが、誰かに頼まれたわけでもないのに、繰り返し宙返りする姿に、純粋に人々を楽しませたいという健気なエンターテイメント精神を感じて、心打たれたのを鮮明に覚えている。

生き物には死がつきもの。だから私は、動物と密に接するのを避けてきたのかもしれない。

そんなことを思わせる、ある出来事があった。

コマドリの花子と、花子の子、たまちゃんが一緒に庭に来るようになってからしばらくして、たまちゃんだけが残り、花子が姿を消した。どこへ行ったのだろう、と思っていた矢先、ある朝、庭に出て小鳥たち用のひまわりの種を足し、ふと地面を見ると、野菜用のネットに羽が一つ不気味にぶら下がっていた。

ゆっくりとその下に視線を下ろしていくと、真っ赤なお胸をしたコマドリが目を開いたまま横たわっていた。一瞬、大きな鳥に攻撃されたのかと思ったが、そうではなく、どうやら羽がネットにひっかかり、もがいた末に力尽きて息を引き取ったようだった。

あれだけ私たちを楽しませてくれたコマドリが、私たちのかけたネットで死んでしまったのかと思うと、情けなくて言葉がなかった。まだ、猫やカラスに捕まった方が、気持ちが楽だったかもしれない。一時間早く起きて、ネットからコマドリの羽を解く光景が、何度も頭の中でループした。

しかし、相方と涙に暮れていると、いつもの位置にたまちゃんが姿を現したのである。てっきり、たまちゃんが死んでしまったのだと思い込んでいた私たちは混乱した。

ネットにひっかかったのは、花子だったのかもしれない。魂が去った抜け殻は、人格がなくて、誰だか分からない。奇妙な空白が、私たちの心の中に残った。

真相がつかめないと私たちはついつい追求したくなるものだが、そもそも自然というのは、こういうものなのかもしれない、とも思ったのである。自然は、むやみに説明をしない。

あの朝亡くなったのは、花子だったのかもしれないし、あの朝たまたま私たちの庭を訪れた見知らぬコマドリだったのかもしれない。ファンギーは、老齢のせいで亡くなったのかもしれないし、人間の身勝手さに嫌気がさして、ディングル湾を去ったのかもしれない。あるいは、噂通り、真実の愛に目覚めたのかもしれない。真実は、誰にも分からない。

すべてを埋めようとせず、空白を、放っておくのもいい。

ファンギーが残した空白に、西の女たちの豪快な笑い声が響き渡る。

西部の女たちの腹の底から湧き出るような土くさい声が、とても印象的だった。

 

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次回公演 「ダブリンの演劇人」(Ova9 第3回公演)

Dublin by Lamplight

作 マイケル・ウェスト IN COLLABORATION WITH THE CORN EXCHANGE 2022年12月6日〜12月11日 

新宿シアターブラッツ https://www.ova9actress.com/

口実

吉報や朗報というのは、普段連絡しない人に連絡する口実になるものだと思う。

 

朗報がなければ人に連絡してはならないと思い込む癖があるのだが、最近、そんな自分の癖について、じっくり顧みることがあった。相方が「そんなものを待っていたら、いつまでたっても連絡しなくて、のちのち後悔するんだぜ」、と言った。考えてみればその通りで、話題なんて、なんだっていい。庭に毎日訪れるコマドリやアオガラのことだっていい。そういう些細なことだって、連絡する口実になるはずだ。そんなことを思うと、昔の手紙の習慣をうらやましく思う。メールや携帯のテキストで、「こちらもすっかりと秋めいて、我が家の庭のコマドリがついに歌い始めました」などと言ったら、若干違和感が残るが、手紙やハガキだとしっかり馴染むのだから不思議である。

朗報などなくていい。ありのままの自分でも十分なのだ、と自分に言い聞かせ、その言葉がしっくりきはじめた頃に、朗報が舞い込んだ。

 

今年の上半期は、こちらの劇団のメンターシップ・プログラムの奨学金を受け、作品の執筆に励んでいたわけだが、その創作を続けるために、次の段階として、アイルランドのアーツカウンシルからAgility Awardsという助成金を受けられることになった。アイルランドでの初めての助成金申請は、あまりに必死で、ほぼ記憶がないのだが、申請してから三か月経ってやっと返事が来た時は、きつく身体を縛っていた緊張の縄が一気にほぐれたのだった。これで創作が続けられることを思うと、涙が出そうだった。

もう後戻りができないほど、多くの人たちにお世話になってしまったからである。

朗報は、急に空から降ってくるものではない。最近、ようやくそんなことに気付いて、妙にほっとしている。習慣のように積み上げられる地味な努力の上の延長のようなもので、実際、そんなに派手なものでもなければ、キラキラ輝いているものでもない。きんきらきんの金箔に覆われたものだと思っていたそれは、意外と木造りで地味な色をしていた。逆に親近感が沸いて、夢に対する恐怖心がなくなったのである。

今夜は、カルチャー・ナイトといって、アイルランド全国各地で文化に関するあらゆるイベントが行われた。いわば国全体がアートを愛でる会場になる。私は近くのカルチャー・センターの野外イベントに参加した。かつて田舎道の分岐点(クロスロード)で行われていた社交パーティーCrossroads danceの復活。焚火を囲んで、伝統音楽の生演奏、民謡、ダンスなどが繰り広げられる。ゆらゆらと蠢く焚火を見ていると、妙に落ち着いて、おのずと心が開かれた。火が、心を開く口実になってくれているようだった。

そして、もうすぐダブリン演劇祭がはじまる。二年ぶりにボランティアを募集するとのことで、応募してみたのだが、作品を無料で見られるなど、いろいろな特典があるのが嬉しい。執筆や翻訳など、孤独な作業が多い私にとって、外に出て人に会う口実のひとつ。

人はなんと無意識に多くの口実を作っているのだろう、と思う。ただただ、それがしたい、それが欲しい、会いたい、話したいと、素直に言えばいいものを。

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次回公演 「ダブリンの演劇人」(Ova9 第3回公演)

Dublin by Lamplight

作 マイケル・ウェスト IN COLLABORATION WITH THE CORN EXCHANGE 2022年12月6日〜12月11日 

新宿シアターブラッツ https://www.ova9actress.com/

月が輝く夜に

時に計画性のなさが吉と出ることがある。

 

思いがけない出会い、予期せぬ出来事。それは、計画通りに物事がうまく行くことよりも感動が伴う。私たち夫婦が計画性がないのは、単に性格でもあるのだが、どこかで、そういう感動を求めているからなのかもしれないと思うことがある。

 

先日、バスで近くのHowthの崖まで遊びに行った。崖の上の灯台にたどり着くと、普段は、小鳥がいっぱい見られる方——左のハイキングルートを選ぶのだが、なぜかその日は、右を選んだ。そして、そのルートは思いのほか長く、街にたどり着いた頃には、日が暮れそうだった。滅多に外食などしない私たち夫婦だが、その日はさすがに疲れ果て、近くのレストランで食事をすることにした。

 

へとへとだったので、なるべく近い中華レストランを選んだのだが、入ってみると、中は、お洒落をして、前々から予約をして来たようなお客さんたちばかりだった。崖のハイキング帰りで砂だらけのスニーカーを履いた私たちは明らかに浮いていた。誰もがしっかりとフルコースを楽しんでいる中で、餃子の王将に入ったかのごとく、チャーハンを頼む私。たまには、別世界で生きる人たちの中に紛れるのもいい。帰り際にいただいたフォーチュンクッキーのおみくじには、「ビジネスで大成功」と書かれてあった。お守りにおみくじをポケットに入れて、上流階級気分を味わった私と相方は、気分よくレストランをあとにした。

レストランの目の前にあるバス停の掲示板には、次のバスが来るのは二十分後、とあり、仕方なしに、バスのルート沿いに自宅へ向かって歩くことにした。高級住宅街を抜けて、海辺にたどり着き、「そういえば、今夜は中秋の名月だね」なんて言いながら不思議な気配を感じて後ろを振り返ると、昇りたての見事な中秋の名月が、橙色に輝いていた。

海に反射した月の光は、まるで、「どうぞ思う存分、踊ってください」、と言われているかのようだった。海の舞台に照らされたスポットライトみたいで、「コーラスライン」に出てくる登場人物が、一人ずつ、月のスポットライトの中に入るのを想像した。海に反射された月は、いつか見たいと思っていたのだが、まさかこんな日に見られるとは思ってもみなかった。

何気ない小さな選択の積み重ねによって導かれた月光は美しかった。前々から中秋の名月を見ようと計画して、月が昇る時間に合わせて海へ赴くよりも、ずいぶんと色気がある。

日々、直面する小さな分岐点を想う。起きるか起きないか、行くか行かないか、するかしないか、受けるか受けないか、勇気を振り絞るか、あきらめるか、右か左か。

小さな選択の積み重ねの上に奇跡がある。

複数の作品や戯曲と向き合いながら、張り詰めていた背中が一気に緩んだ瞬間だった。

今、大人になりたてのコマドリたちが、生垣の中でひそかにお歌を練習している。人目をはばかり、一生懸命小さな声でピヨピヨと練習する姿がとても愛らしい。冬になれば、あの真っ赤なお胸を突き出し、自信満々に歌いだすのだろう。

予期せぬ出来事に感動する一方で、毎年、約束ごとのように、しっかり季節の変化に合わせて変わっていく小鳥たちの姿を見ていると、とても安心する。

 

しかし、時には無計画に、いつもの左へ曲がるところを右へ曲がってしまえるほどの余裕は持ち合わせていたい。

 

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変わる時はひっそりと

日本だと、春が別れと出会いの季節だが、こちらでは、九月がそれに当たるのだと思う。

そういえば、昔住んでいたアメリカもそうだった。9月がはじまりの月。新しいクラスメイトや、封を切ったばかりの文房具の匂いが、切ない秋の香りと重なった。

アイルランドの夏は一瞬である。日本から半袖もタンクトップも持ってきたが、夏服を着られるのは、一年のうち、ほんの数日間。つまり、一年の約360日は、クローゼットの中で眠っている。夏の暑さもつかの間、最近はすでに秋の香りが漂い、私の夏服たちは、また一年間クローゼットの中で長い眠りにつくことになる。あれだけ待ち望んでいた夏なのに、いざ過ぎていくと、心はしっかりと秋に向いているから不思議。

庭を毎日訪れるコマドリの花子は、我が家を訪れるようになってからもうすぐ1年がたつ。冬には美声を披露し、いつのまにかパートナーを見つけ、春には巣作りに奮闘し、子育て中は庭中を飛び回っては虫を捕まえて……そんな風に、ずっと活発だった花子だが、最近は子育て疲れか、元気がない。活発に飛び回るアオガラの若造たちを、ひたすら恨めしそうに見つめている。徐々に羽も抜け落ちてきてきた。羽が生え変わる季節なのかもしれない。

コマドリの羽が生え変わる時の姿は、なんとも気の毒な感じなのだが、羽が生え変わった後の、お胸の橙色はまぶしいほど鮮やかである。この時期、羽が脆いコマドリたちは、あまり姿を見せない。木の中でひっそりと過ごすそうだ。変遷期とか、過渡期というのは、あまり見せびらかすものでもなく、ひっそりと過ぎていくものなのかもしれない。いつか見事な花を咲かせるために、エッチラオッチラと水面下で必死に足を動かす。

不思議と、私も花子と同じように、ひたすら地味な作業に追われた一か月だった。

こちらへ来て、ずいぶんとお金の使い方が変わったように思う。東京にいた頃は、何かを学ぼうとすれば、必死に働いて、その費用を稼ぎ、その疲れた体を癒すために、さらにまたレジャーにお金を費やし、そのために働く、というような繰り返しだったが、こちらへ来てからは、助成金や奨学制度を利用させていただいている。奨学制度なので、お金もかからないうえ(時にはお金が支給されることもある)、長い応募書類を書きながら本当にこれは自分がしたいことかどうかじっくりと向き合わざるを得ないのもあって、無駄が削がれる。

先日、アイリッシュ・ライターズ・センターのコースを無料で受けられる奨学金を受け取った。子どもの頃のように、秋から新学期が始まるようで、思わず心が弾む。いつか恩返しができるように、頑張りたい。

人生は短いというが、短いからと言って、焦って片っ端から手を出していては、何も実にならない。短いからこそ、目の前のことを一生懸命に……などと、急き立つ心を黙らせる。

アイルランドには、ディレクト・プロヴィジョン という亡命希望者が滞在する施設がある。あまりにも権利が限られているため、人権侵害だと問題になっているが、そこに滞在していたというアフリカから来た女性と会う機会があった。そこに滞在している間、彼女は本を片っ端から読んだという。今は、本を出版し、大学でも教えている。娘を女手一つで育てたそうだ。そんな話を聞くと、みるみると力が沸いてくる。

移民だからこそ見える景色がある。鮮やかな新風景が、鋭く喝を入れてくれた。

ゆっくりと、しかし確実に羽が生え変わっていく花子の姿に安堵しながら、言葉と向き合う日々。

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次回公演 「ダブリンの演劇人」(Ova9 第3回公演) Dublin by Lamplight 作 マイケル・ウェスト IN COLLABORATION WITH THE CORN EXCHANGE 2022年12月6日〜12月11日 新宿シアターブラッツ https://www.ova9actress.com/

墓碑に刻まれた言葉

詩人ウィリアム・バトラー・イェイツは、ダブリン生まれだが、南仏で死に、アイルランドのスライゴ―に埋葬されることを強く希望した。劇作家ブライアン・フリールは、生まれは北アイルランドだが、自身がこよなく愛したアイルランド西海岸のドニゴールに埋葬された。

思えば、生まれる場所は選べないが、納骨または埋葬される場所は選べるのだ。

カトリック大国のアイルランドでも、最近は火葬を希望する人が増えているそうだ。昔は、遺体をそのまま埋葬するのが一般的だった。

「土の中で、そのまま眠るのって、寒そうじゃない?だったら、火で燃えた方が温かそうだわ」

義理のお姉さんが、先日のお葬式でそうおっしゃった。そういわれてみれば、私もどちらかというと、火で燃えて、その熱で空を舞う方がいい。アイルランドの土の中に眠る、無数の魂を想うと、不思議な気持ちになった。

先日、相方の妹さんのお葬式があった。いろいろと事情があり、私は一度も会ったことがない。彼女は南部の街コーク市出身だが、リムリックという街の男子校で40年以上教師を務めた。決して治安が良いとは言えない街で、思春期の男の子たちを教えるのは、さぞかし大変だったかと思うが、お葬式には、夏休みなのにもかかわらず、教え子だった男子生徒たちがビシっと制服を着て参列していた。

彼らの姿を見て、彼女の生きざまを理解し、背筋が伸びる思いだった。

生涯独身を貫き、リムリックという街で教育に人生を捧げた。だからこそ、葬儀も故郷のコーク市ではなく、リムリックでとり行われた。

アメリカで生まれ、日本で思春期を過ごし、アイルランドに相方がいる私は、海に灰を撒くのが一番いいかもしれないな、などと思った。

いつも思うことだが、棺を担ぎながら静かに行進する男性陣の姿、教会に響き渡る聖歌など、カトリック教徒の葬儀は美しい。神父さんのお話の間、ひざまずく瞬間が何度もあり、カトリック教徒ではない私にとって、ひざまずいて祈るという行為は、どうもぎこちなく、嘘をついているようで、いつも申し訳ない気持ちになるのだった。しかし、他の人がひざまずいて祈っているときに、一人だけぼーっと椅子に座っているわけにもいかない。相方には、従妹が無数にいて、お葬式に出席するたび、名前を覚えるのに必死である。「こんにちは、●●の従妹です」と繰り返し言われ、葬儀が終った頃には、誰に何を話したのかさえ覚えていなかった。

ウィリアム・バトラー・イェイツの墓碑に刻まれた碑文は以下の通り。

「生と死に、冷めたまなざしを。

馬の上の君、速やかに立ち去れ!」

人生悔いのないよう、精一杯生きなければと、

背中を押していただいたような、葬儀であった。

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最後のひとかけら

言葉というのは、絶えず、かならず他の言葉とぶつかる。

ぶつかるというか、重なっていくわけですね。

                          井上ひさし

 

何かが足りないのは分かっているが、何が足りないのかが分からない。そんな悶々とした日々を過ごし、ふとある朝、歯を磨きながら、そのミッシングピースの正体が突然判明することがある。すると今までの悩みが嘘のように、すべてが滑らかに進む。そんなことが、人生には多々あるように思う。

 

ダブリンに暮らしていると、メンターシップという言葉によく出会う。日本でも、ビジネスの世界では多用されているみたいだが、芸術の世界ではあまり聞いたことがない。しかしアイルランドでは、演劇や舞台芸術の世界で、よく目にする言葉だ。

 

 

メンターは、よき指導者、相談相手、庇護者、よき師、恩師、などと訳される。自信がないのに押し付けられるのが苦手な私にとって、このメンターシップというシステムはまさに、私の創作生活におけるミッシングピースだった。

 

私の体験したメンターシップは、指導ではなく、尋問。押し付けることなく、見守る。いまだかつてないほど自分と向き合わざるを得なかったが、誰かに言われたのではなく自分で選択したのだという歴史が、自信につながった。

 

 

メンターは考えが甘かったり自分に嘘をついていたりすると、それを見抜き、スキをつついてくる。これはなんでなの、ここはどういうこと?ここは、実際どうやるの?などと聞かれていくうちに調べものも増え、本当はどうしたいのかを自分自身に問い続けていくうちに自ずと納得いく形が見えてくる。答えはいつも自分の中にあるのだが、人間である限り、どうしてもそこから目をそらしてしまう。そんな時、経験も知恵も豊かなメンターがそっと手を差し伸べる。

 

アイルランドでは、こういったメンターシップシステムが、駆け出しの作家や演出家を支えている。新人作家が書いた作品に対して、ディスカッション、ドラマツルギー面でのサポート、メンターシップなど、手厚いサポートシステムが沢山用意されている。こういういくつもの段階を経て、ようやく本が舞台に上がる。戯曲が紙の段階で完成とみなされることは、ベテランでない限り、ほぼないのではないだろうか。

 

 

外来語が雨のように降り注ぐ昨今。日本語が崩れている、と嘆く方の気持ちもとてもよくわかるが、私にとって、このメンターシップという言葉は、パズルの最後のピースように、すっぽりと私の身体にはまった。そういったところを見ると、やはり私は根無し草なのだと感じる。

 

異文化の未知の概念が自分とぴったり重なったとき、はじめて飛べるなんてこともあるのかもしれない。

 

 

飛ぶといえば、最近、あちこちで小鳥の赤ちゃんを見かける。庭に出ると、幼い小鳥の泣き声があたりに響き渡る。相変わらず、小鳥マニアとして、小鳥の赤ちゃんを追いかけては観察しているのだが、親の残酷な面が垣間見えて、興味深い。子供が病気だとわかると、巣から蹴落としたり、もう生き延びないと判断した瞬間、餌を与えるのをやめ、他の兄弟を優先する。そんなとき、人間が下手に介入するのはよくないのだとか。

 

先日、巣をはやく去りすぎた小鳥の赤ちゃんを見た。巣を出るタイミングを間違うと、赤ちゃんは生き延びることができない。

 

アーティストや作家にも言えることなのかもしれない。メンターシップはいわば、ひとりで飛べるまで、巣の中にいさせてもらえるシステムと言えるのかもしれない。

小鳥のように繊細な芸術家にとって、大事な最後のひとかけらのように思う。

 

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都会の香り

久しぶりに、都会の香りを嗅いだ。

 

東京も、パリも、ニューヨークも、同じ香りがする。不思議と、ダブリンはまだ都会の香りがしない。あの都会の香りは、一体何でできているのだろうといつも思う。

 

約二年半ぶりに飛行機に乗った。自分が参加しているメンターシップ・プログラムの奨学金の一環で、海外の作品を観に行く機会をいただき、ブリュッセルの芸術祭Kunstenfestivaldesartsに出向いた。どこの演劇祭/芸術祭も、観客の芸術に対する愛を感じる。会場内の温かい雰囲気がとても好きだった。そしてブリュッセルは、都会の香りがした。

 

 

一昨日、メンターシップ・プログラムのシンポジウムがアイルランド国立演劇学校内の会場で行われた。自分が創作している作品の中間発表のようなもの。舞台芸術を愛するコアな人たちが集まり、大変有意義な時間だった。

ただのプレゼンテーションとはいえ、異国の地で、自分が創作/執筆した作品を発表するのは、私にとって人生を揺るがすほどの大きな出来事であった。伝えるのは、意外と難しい。ましてや文化の異なる人たちに伝えるとなると、日本人に伝える時とは全く違う別の神経を使う。

 

しかし結論から言うと、予想以上に大きな手ごたえを感じて、感無量であった。終わった後、とあるアーティストさんから、「いつでも連絡してください」とメールアドレスが書かれた紙切れをいただいたり、国立演劇学校に通う若い俳優の卵さんたちが、この作品に出たいと自ら申し出てくれたり。また、年配のベテラン俳優さんは、「ボケた老人が舞台上を右往左往する作品を書いてくれないかな、それなら私も出演できる」とユーモアたっぷりにおっしゃってくださった。

 

 

会場のお客さんは、自分の書いたテキスト、一言一句、しっかりと耳を傾けてくださった。あのシンと張り詰めた緊張感は、一生忘れない。

 

根無し草であることが常にコンプレックスであったが、国境を跨いだ者だからこそできる表現があるのだと確信したのであった。他の参加者も、北アイルランドのアーティスト、クロアチアからアイルランドに移民としてやってきた演出家など、偶然にも、国境を跨ぎ、自身のアイデンティティーを問い続けてきた者が集まった。今回のメンターになってくださったフォースド・エンターテイメントのテリー・オコナ―氏には、感謝しかない。彼女のアーティストとして生きる覚悟、計り知れない創造性、多大なる包容力は、是非とも見習いたい。

 

 

まだまだ改良の余地はあるが、推敲を重ね、この半年で、ずいぶんと形が見えてきた。それは、テリーのサポートのみならず、インタビューに答えていただいた数多くの女性たち、読み合わせに協力してくださった日本の女優さんたち、私が書いたものにいつもダメ出しをしてくれた相方、豊富な専門知識を提供してくれた姉、そして何より、この素晴らしい機会を与えてくれたこちらの劇団PANPANシアター・カンパニー。本当にあらゆる人たちの協力を得たからこそ、ここまで来れたのである。

 

真に、心を開く難しさ。簡単なようで、難しい。いざやってみると、あっけないのだが、そこまでの道のりは時に驚くほど険しいのだ。そんな難しさを、この作品を通して描きたい。

 

これからが大変なのであって、まだ長い道のりであるが、大きな一歩であった。いつだったか、ナイジェリア出身のタクシードライバーが「こちらさえ心を開けば、向こうも開いてくれる」と言っていたのを思い出す。

いつものことであるが、一気に緊張が解け、終わった後は凄まじい頭痛と睡魔に襲われ、早めに打ち上げ会場のレストランを後にした。頭痛は酷かったが、清々しい気分であった。嗚呼、やっと一歩踏み出せた!と心の中で叫んだ。レストランのウェイターに爽やかに挨拶し、店から出ようとしたとの時……

 

「ゴン」

 

出口の綺麗に磨かれたガラス戸に気付かず、思い切り頭を打った。痛かった。目の前がチカチカするほど痛かったが、あまりにも恥ずかしく、何も起こらなかったふりをして、店を後にした。

 

きっとこれは、調子に乗るなよ、という神様からのお告げなのだろう。

「はい、承知いたしました」

そんなことを心でつぶやきながら、まだ都会の香りがしないダブリンの街をスキップしながら帰宅した。

 

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